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鳥井さんのことなど
とりいさんのことなど
作品ID57264
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第七巻」 岩波書店
2001(平成13)年4月5日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2017-01-30 / 2016-12-09
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 サントリーの鳥井信治郎さんとは、もう三十年越しのお近付きを願っている。この鳥井さんと私との話には、少し美談めいたところがあるので、今まであまり書いたことがなかった。美談というものは、公表すべきものではないそうである。しかし三十年といえば、たいへんな年月であるから、もう今では、遠い過去の話として、書いてもよいであろう。
 ことの起りは、私が四高の三年生になった時の話である。校長は溝淵進馬先生で、当時天下の名校長とうたわれていた人である。土佐の出身で、浜口雄幸の親友の一人であった。浜口さんといっても今では知らない人もあろうが、当時ライオン宰相とあだ名されたくらいの剛直清廉な大政治家である。総理大臣の現職で刺客に襲われ、それがもとになって、間もなく亡くなられた。
 溝淵さんも、浜口さんそのままのような人で、剛直で誠実な教育者として知られていた。生徒たちには、まことに恐ろしい先生であったが、皆敬慕はしていた。私は弓術部の主将をしていたが、対校試合の華かだった時代だったのでその用事もあって、時々溝淵先生のところへ顔を出していた。それで少しは個人的な話をする機会もあった。
 私の家では、父が早く亡くなって、母が一人で、田舎で呉服屋をしていた。それで私と後に考古学をやった弟とを教育するのは、なかなかたいへんであった。溝淵先生にも、そういう話をしたかどうかは忘れたが、或る日、先生から、大学へ行ってからの学資について、相談があった。
 関西の実業家で、全くの匿名で、学費を出したいという人があるが、それを貰わないか、という話なのである。毎年各高等学校の校長に依頼して、各校から一名宛、そういう学生の推挙を頼まれるのだそうである。金額は月額五十円で、三年間。返済の義務はもちろんなく、その実業家の名前は、本人にも知らさない、というのである。それでは返済のしようもないわけである。
 当時の五十円といえば、今の二万円くらいに相当するであろう。
 一流の下宿にいて、相当本も買い、時には映画を見たり、コーヒーをのんだりしても、五十円あれば充分という時代であった。あまり結構な話で、少し気味悪いくらいであったが、悪びれずに、有難く頂戴することにした。
 ところで東大の物理学科に入り、下谷の池の端近くに住むことになったら、そこへ毎月、月末になると、五十円の為替が、きちんきちんと送られて来る。差出人は、大阪毎日新聞社のO氏の名前になっていたが、O氏からは、この金は私から出すものではなく、単に送金の世話をしているだけだから、礼状は要らない、と断って来た。そして封筒の中には、毎回印刷した受領書がはいっていた。それに署名してO氏のところへ送るだけでよいのである。
 そういうことが、一年近く続いた後、或る月から、差出人が、鳥井信治郎という名前に変った。そして今後の受領書は、私の方へ送ってくれと書き添えてあ…

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