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六三制を活かす道
ろくさんせいをいかすみち
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第八巻」 岩波書店
2001(平成13)年5月7日
初出「文藝春秋 第三十三巻第五号」文藝春秋新社、1955(昭和30)年3月1日
入力者kompass
校正者岡村和彦
公開 / 更新2017-06-24 / 2017-04-03
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 六三制の十年

 そろそろ新学期を迎える頃になると、毎年思い出したように、教育問題が、日々の新聞紙面に、華々しく登場してくる。入学試験が眼前に迫ってくると、受験生徒をもっている家庭では、親も子もなく、一家を挙げての最大の関心は、「教育問題」に向けられる。
 しかし教育の問題は、今更述べ立てるまでもなく、国家百年の大計であって、年に一回の入試時期だけの問題ではない。敗戦後の日本は、新憲法の制定、財閥の解体、農地法の実施など、幾多の革命的な変革を強行したが、これらの大変革にも劣らぬものが、六三制という新学制の採用であった。
 学制の改革くらいは、それほどの重大事ではあるまいと思われるかもしれないが、実際は、あの学制改革は、ほとんど不可能のことを、強行したともいえるのである。日清、日露の戦に勝ち、朝鮮を併合した明治の時代、すなわちいわゆる日本の最盛期においても、小学校四年の義務教育を、六年に延長することは、かなり困難な事業であった。それを敗戦後の瀕死の国情下において、一気にさらに三カ年も延長することは、そもそも初めから無理を通り越した話である。しかもこの六三制は、全く国情の異なったアメリカにおいて、育成された学制である。それをそのまま鵜呑みにして、貧窮のどん底に落ちた日本へ適用しよう、というのであるから、困難の度は、初めから推して知るべきであった。
 しかし敗戦直後の日本としては、現在もそうであるが、とくに当時の話としては、国民更生の道は、その目標を教育におくより外に望みがなかった。朝鮮、満洲、台湾、樺太、千島によって、辛うじて生きていた国が、その全部を失ったあとでは、頼るものは国民の能力だけである。すなわち教育が、将来の日本を考える場合には、最大の課題であった。ところで戦前の日本の教育は、その普及度においても、また学力の程度においても、世界の一流国に比して、そうひけはとらなかった。しかしその教育には、何か謬ったところがあった。常識では考え得られないあの無謀な戦争に、国を挙げて突入したのは、軍閥がどうのこうのということももちろんあるが、その根元には、教育の欠陥があった、と認むべきであろう。そういう意味でも、敗戦後の教育問題は、なんらかの根本的変革を必要としたのである。
 そういうところへ、アメリカから、現在の六三制が輸入されてきた。押しつけられたともいい、また英語がよく通じなかったために、単なる示唆を、こっちから進んで受け入れたともいわれているが、そういうことは、どっちでもよい。とにかくアメリカの教育制度が、そのままの形で、敗戦後の日本へ適用されるという無理な話になったのは、事実である。
 この無理は、その後十年に近い、当局及び教育者たちの努力にもかかわらず、依然として解消しない。逆に、この無理からくる教育の欠陥が、十年の年月を経て、漸く表面に浮かび出た形であ…

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