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長岡と寺田
ながおかとてらだ
作品ID57288
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第六巻」 岩波書店
2001(平成13)年3月5日
初出「寺田寅彦全集 第十三巻 月報13」岩波書店、1951(昭和26)年5月5日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2016-06-10 / 2016-03-04
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 長岡先生と寺田先生とは、学問のやり方でも、対世間的のすべての点でも、まるで正反対のように、一般に思われている。事実、外から見たところは、その世評のとおりである。そして外から見たいわゆる皮相の観が、案外ことがらの真をついていることが多い。両先生の仲は、決して良かったとはいえない。
 しかし両先生とも、何といっても、大正昭和の日本における傑出した学者であった。お互いに尊敬すべき点は、ちゃんと尊敬し合っていられた。寺田先生は、あのとおり、どんなつまらない人間でも、その長所は十分に認めるという性質であった。いわんや長岡先生のような卓越した大先生の学問には、十分の敬意を払われた。そして長岡先生のあの性格の強さを、武士道の名残りとして大いに尊重しておられた。
 一方長岡先生は、滅多に人に負けない方であったが、やはり見るべきところは、ちゃんと見ておられた。その一つの現われであるが、寺田先生には、ある点では、一目置いているという風があった。寺田先生が大学を出られて、まだそう長くない頃のことである。水産講習所の兼任講師に寺田先生を推薦されたことがあった。その時長岡先生が「絹ハンカチで鼻をかむようなものだが」といわれたという伝説が残っている。水産講習所の方たちは怒られるかもしれないが、あの時代は、そういう伝説が作られるような時代であった。
 長岡先生は、原子物理学の方で有名であったが、地球物理学にも興味をもたれ、地震研究所にも席があった。そして地球物理の論文をたくさん書かれた。私がまだ理研にいた頃の話であるが、ある日何かの用事で寺田先生の部屋へ行った時、先生が長岡先生の論文原稿を見ておられたことがあった。「どうも長岡先生の論文を拝見するのは少し閉口なんだが」といって、例のように独特の苦笑をされた。少なくもあの頃は、長岡先生も、地球物理関係の論文は、一応原稿を寺田先生に見て貰われたようであった。
「長岡先生も、地球物理の方は、あまり自信がおありにならないようだ。この頃はよく「君、ちょっと見ておいてくれ給え」といって、原稿を頂戴するんだが。どうも先生には、地球物理なんかという御気持があるらしく、大分調子を落されるんでね。少し閉口なんだ。この間も緯度変化と地震という大論文の中で、山から次ぎの山まで、即ち波長の二分の一と書いてあったんでね。おそるおそる「先生これは波長じゃ御座いませんか」と伺ったら、「そうだね」とあっさりλ(波長の常用字)と直されたんだ。あれには少々驚いたよ。僕だったら、あんなことを書いたら、とても気になって二晩くらい眠れないんだが。「そうだね」には、実際びっくりしたよ。えらいものだね」といって、ちょっと首をすくめて見せられたこともあった。
 どうも、長岡先生にとっては、地球物理学は、いわばホビィであったように思われる。寺田先生も、その点は十分よく了解しておられたよう…

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