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湯川秀樹さんのこと
ゆかわひできさんのこと
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第六巻」 岩波書店
2001(平成13)年3月5日
初出「文藝春秋 第二十八巻第一号」文藝春秋新社、1950(昭和25)年1月1日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2016-09-08 / 2016-06-10
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 十一月四日は、たまたま函館にある北大の水産学部で、文化講義をする日になっていた。
 朝、学校へ顔を出したら、とたんに学部長の武田さんが、「先生、今朝のラヂオの臨時ニュースを御ききですか。湯川博士がノーベル賞を貰うことに決ったそうですが」と、やや興奮した語調で話し出された。
「そうですか。それはたいへんなニュースですね。ちっとも知りませんでした」
「昨夜のニュースでは、多分決りそうだといっていましたが、今朝はいよいよ確定したというんです」
「それはほんとうに芽出度い話だ。それじゃ今日は終戦以来初めての芽出度い日ですよ」
「先生は、アメリカで湯川博士に御会いになったそうですが、その時何か」
「いや、そんな話は全然ありませんでした。湯川さんも、きっと喜んでいることでしょう。それにアメリカにいる日本人たちが、大いに肩身の広い思いをしていることでしょう」
 こういう話をとり交しているうちに、九月に紐育で会った時の、湯川さんの顔、奥さんや子供さんたちの像が、私の頭の中に、ありありと蘇ってきた。初めて内報があった時に、奥さんはきっと、あの大きい眼を一層まんまるにして、喜んだことだろうと、その顔が見えるような気がした。湯川さんもきっとほっとしたことだろうと思う。
 昨年の八月、湯川さんが、プリンストンの高級科学研究所から招かれて、渡米するという寸前、京都で会った。それは京都によくある灼きつけるような暑い日の午後であった。二階の方々の窓を開け放して、風通しのいい中で、湯川さんと奥さんとは、部屋一杯に荷物をならべ立てて、整理の真最中であった。湯川さんの渡米許可は早く下りていたが、奥さんの方はその頃はまだ許可がなかなかとれない頃だった。それが、私が訪れた日の前日かに、東京の司令部から電話があって、いよいよよろしいということになったのだそうである。二、三日で出発の準備をして、留守宅の手配をして、というのであるから、たいへんな騒ぎの最中であった。
 そんな時だったので、ちょっと用件の話だけして、すぐおいとました。それではプリンストンでまたゆっくり遊びましょうということにして、別れてきた。というのは、その後二、三か月中に、私もアメリカと加奈陀とへ出かける予定になっていたからである。「それにしてもそれじゃまたプリンストンでなどというようになったのも、世の中のテンポがずいぶん速くなったものですね」と皆で笑って別れた。
 ところが私の出発が、その後予定よりもずっとおくれたので、到頭プリンストンでは会えなかった。一年近くおくれて、七月の初めにやっと出かけたのであるが、アラスカ、西部、中部、加奈陀と廻っているうちに、紐育へ出たのは九月の初めになってしまった。湯川さんは、高級科学研究所との約束がすんで、八月末から紐育のコロムビア大学に移っていた。それで途中から連絡をして、紐育の御宅で、二、三日遊…

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