えあ草紙・青空図書館 - 作品カード


広告

私の履歴書
わたしのりれきしょ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第六巻」 岩波書店
2001(平成13)年3月5日
初出「螢雪時代 十一月号」旺文社、1951(昭和26)年11月1日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2016-04-11 / 2016-03-04
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
えあ草紙で読む
HTMLページで読む

広告

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

find Audible YouTube

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

楽天Koboで表紙を検索

広告

本文より

 人間の履歴を知るには、履歴書を見るのが一番早い。しかし履歴書にあらわれているのは、決してその人の本当の履歴ではない。少なくも私の場合などは、大学の物理科を出ていることになっていて、それは事実ではあるが、今から考えてみると、全く偶然の機会の重り合いが、自分を物理学者としたようなものである。私の歩んだ道は、履歴書の上ではきわめて平凡であるが、その内容はきわめて浮動の多いものであった。ただ全体を通じて、今までのところは、非常に運のよい道を通ってきたものと、自分では思っている。ちょいちょい困ったこともあったが、あとから考えてみると、その苦境がかえって幸運への橋渡しになったことが多い。
 一番感謝していることは、生まれた家が、非常に貧乏でもなく、また決して金持でもなかった点である。あまり貧乏で中学へも出せないようでは、もちろん困るが、家が金持であることは、決して子供のために仕合せだとは限らない。無理をすれば、ようやく大学まで何とかやれるというくらいの家庭が、一番幸福な家庭であり、私の家はまさにその階級に属していた。
 北陸の片田舎で育ったことも、非常によいことだったと思っている。日本は、田舎と都会との生活程度が非常にかけはなれている。これは日本の政治が悪いので、昔から田舎の人たちの生活を犠牲にして、都会をよくするようなやり方をしてきた。
 道路にしても、家にしても、道を歩いている人の服装にしても、田舎と都会とではひどいちがいである。銀座の通りには、いつでも一杯になって大ぜいの人が歩いている。そのどの一人を見ても、綺麗な洋服を着て、本皮の靴をはいている。そして喫茶店へはいったり、飾窓をのんきそうに覗いたりしている。田舎の人は生涯ああいう暮しを知らないで過す。しかしああいう人たちの食べる食糧は、田舎の人たちが生産しているのである。ところが、大都会で育った、とくに金持の家に生まれた子供は、そういうことを知らない。大きくなってから、本で読んで知識は得られるかもしれないが、本当の田舎の生活はそういう人には分らない。日本の本当の姿を知るためには、田舎で育つ必要がある。その意味で、私は子供の時代を田舎で過したことを、非常に幸運だったと思っている。
 私の家は、田舎の温泉地で、呉服だの雑貨だのを売っていたのであるが、父が中年から九谷焼に凝り出し、庭にかまを造って、自分で九谷焼をやくという熱中ぶりであった。そして私を九谷の陶工にしようと思っていた。それで小学校を出たら、近くのK市の工業学校の窯業科に入れるつもりであった。私は中学校の方を希望していたのであるが、子供の頃から手工的なものが好きだったので、九谷の陶工になることも、そうきらいでもなかった。
 それでもし父がずっと健在でいたら、今ごろ私は九谷の名工になっていたか、あるいは瀬戸物屋の番頭になっていたであろう。ところが小学校を卒業…

えあ草紙で読む

ライフメディアへ登録

Koboユーザー必見!
楽天スーパーポイントとは別に
価格の5%がポイントに!

find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2016 Sato Kazuhiko