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小さい機縁
ちいさいきえん
作品ID57308
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第五巻」 岩波書店
2001(平成13)年2月5日
初出「光 第二巻二号」光文社、1946(昭和21)年2月1日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2017-12-18 / 2017-11-24
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今年の六月、本土爆撃がいよいよ苛烈になって、東京は大半焼け、横浜も一日の猛爆で、全市が一遍に壊滅してしまった頃の話である。
 鎌倉で或る機会に里見[#挿絵]氏を訪ねた時に、狩太にある有島農場の話が出た。あの農場はもとは里見さんの令兄故有島武郎氏の農場であった。有島さんはその頃抱懐されていた主義に基いて、あの農場を当時の小作人たちに無償で開放された由である。その開放の方法がちょっと変っているので、普通の地主の場合のように分譲されたのではなく、土地を小作人たちで共有するような制度が採られた。そして爾来二十余年、この狩太村の農場は有島農場と呼ばれ、その時の制度がずっと今日まで守られて来ているのである。
 鎌倉は初めのうちは、別に理由があるわけではないが、何となく空襲の圏外にあるような気持がして、東京から逃れて来た人々も、前からの住民たちも、幾分暢気にかまえていたようである。ところが真昼間B29一千機によるという横浜市の猛爆撃を目の前に見て以来、急に皆の気持が変ってしまった。
 一編隊が横浜の真上と思われるところへ来て、一斉に爆弾と焼夷弾らしいものを落すと、さっと反転して帰って行く。すると次の編隊がすぐその後に続いて来て、同じことを繰り返す。その度に地上からは真黒い煙が立ち昇って、その煙がどんどん拡って行く。そういうことを、白昼堂々と何時までも繰り返している姿を現実に見ては、誰もが慌てるのも無理はない。今こういう話をしていても、明日はすっかり焼き払われるかもしれないし、或は今日の午後かもしれない運命なのである。
 里見さんは、東京の御宅がすっかり焼けてしまって、本も材料も原稿用紙までも無くして、大変困って居られた。それに鎌倉のこの家も、明日とも言えない不安な状態である。ちょうどそういう時に、北海道の有島農場から、疎開をして来ないかという手紙が来たのだそうである。ずっと以前から農場の管理をしている老人のところから、こういう世の中になって、東京の人が色々伝手を求めて無理にも疎開して来るのに、有島の一家の方たちが、沢山居られるのだから、何方でも一人くらい来られたらどうか、住居と食糧のことは全然心配させないからという手紙なのである「武郎の子供たちはずっと前に疎開してしまったし、生馬も先だって信州の方へ疎開したから、行くとしたら僕が行くんだが」と里見さんは、ちょっと心が惹かれた様子であった。
 開放以来もう二十五年も経っているので、普通なら前の地主のことなどすっかり忘れてしまっている頃である。それにこういう手紙を寄こしてくれるのは感心な話である。里見さんもその心持を喜んで居られるらしい。ただ余りひどい田舎へ引き込んでしまって、文化的なことから全然縁が切れてしまうのも淋しいし、いったい狩太というところはどんな所なのかという話であった。武郎さんの居られた頃一度行ったことはあるが…

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