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一人の芭蕉の問題
ひとりのばしょうのもんだい
作品ID57414
著者江戸川 乱歩
文字遣い旧字旧仮名
底本 「日本推理作家協会賞受賞作全集 7 幻影城」 双葉文庫、双葉社
1995(平成7)年5月15日
初出「ロック 第2巻第2号」筑波書林、1947(昭和22)年2月号
入力者第二回シャッカソンメンバー乱歩班
校正者sogo
公開 / 更新2016-10-10 / 2016-10-10
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 木々高太郎君の「新泉録」に對し成可く無遠慮な感想を書けといつて雜誌ロックの山崎君が新泉録の原稿を見せてくれた。山崎君の内心は私達の間に活溌な論爭を期待してゐる模樣であつたが、木々君の考へと私の考へとは故甲賀三郎君と木々君と程は相違してゐないので、論爭にはならないかも知れない。併し多少意見の相違が無いでもないから、少しく私の感想を書いて見ようと思ふ。
 最も直截に云ふと木々説は探偵小説本來のもの即ち謎や論理の興味が如何に優れてゐても、獨創があつても、それが文學でなければ意味がないといふのに對し、私の考へは、無論文學を排撃するものではないが、如何に文學として優れてゐても、謎と論理の興味に於て水準を拔いてゐなければ、探偵小説としてはつまらないといふのであつて、同じことを違つた角度から云つてゐるやうにも見えるけれど、文學と探偵興味とが兩者の最高に於て渾然として一體となることが至難の道であるが故に、現實の問題としては、兩者の考へに相當の距離を生じて來るのである。木々君は文學第一主義、私は探偵小説第一主義、これが渾然一體化するのが理想であるが、その理想實現が殆んど不可能に近いほど困難なところに問題が生ずるのである。
 私は以前から、一つの理想論としては、心中ひそかにその至難を危みながらも、木々説に賛意を表して來た。往年の隨筆「探偵小説の意欲」「探偵小説と科學精神」などはこれを語るものである。私は木々君に劣らず文學が好きである。しかし遙かなる理想としては探偵小説文學論に賛意を表しながらも、實際問題としては、私は一應普通文學と探偵小説とを分けて考へてゐる。人生の機微に觸れんとする時には探偵小説に之を求めないで、普通文學に親しむ。探偵小説に求むる所のものは普通文學に求め得ない所のものである。これを假りに謎と論理の興味と名づける。探偵小説に求むる所は謎と論理の興味であつて、人生の諸相そのものではない。探偵小説にも人生がなくてはならない。しかしそれは謎と論理の興味を妨げない範圍に於てゞある。
 普通文學の手法を出來る限り取入れることは望ましい。しかしそれは「文學味ある探偵小説」を極限とし、それ以上に、即ちたゞの文學にまで拔け出すことは、私の考へでは至難の業である。たゞの文學となつた時、探偵小説は最早かげをひそめてしまふからである。私はまだ探偵小説の探偵小説らしさを愛する。この「らしさ」を失つたたゞの文學を、私は探偵小説と呼稱する必要を認めないのである。それは最早探偵小説といふジャンルが消滅することである。たゞの文學にまで拔け切つて、しかも探偵小説と呼び得るものが若し生れたならば、それは最も困難な理想が爲しとげられたことであるが、私の現在の想像力を以てしては、さういふ作品を腦裏に描くことが出來ない。至難中の至難である。
 木々君はトリックの創案が先ではない、さういふトリックを生む…

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