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誤解せられたる生物学
ごかいせられたるせいぶつがく
作品ID57419
著者丘 浅次郎
文字遣い新字新仮名
底本 「進化と人生(上)」 講談社学術文庫、講談社
1976(昭和51)年11月10日
初出「教育界」1908(明治41)年10月
入力者矢野重藤
校正者y-star
公開 / 更新2017-08-29 / 2017-07-17
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 科学の中には教育のない人々からつねに誤解せられているものが少なくない。たとえば地質学の教室へ外国人をつれてきて、ここは土壌を分析していかなる作物に適するかを調べるところであると、説明した案内者もある。また日々の天気予報は天文台から出るものと心得て、星学者に向かってそのあまりあてにならぬことを盛んに攻撃しかけた紳士もある。しかしこれらはいずれも極端な例であって、今日一通りの普通教育を受けた人ならば、かくはなはだしい間違いをする者はなかろう。しかるにここに一つ普通教育を受けた人々はもちろん、教育の任に当たれる人々までが誤解しているごとくに見える科学がある。それはほかでもない。すなわち表題にかかげた生物学であるが、誤解の結果としてこの学の真の価値が認められず、きわめて重要な性質のものでありながら、すこぶる等閑に付せられていることはわれらのつねにもっとも遺憾に堪えぬところであるゆえ、ここにいささかその誤解せられている点、その誤解せられる理由、ならびに真の生物学とはいかなるものなるかを述べておきたいと思う。
 まず第一に今日のところでは生物学という名称さえも世間には広く用いられていない。動物学と植物学とはつねに鉱物学と合併して博物学と呼ばれ、中学校、師範学校の課程の中にも博物という科目はあるが生物学という名前は見当たらぬ。かくのごとく博物学という名称のみが世間一般に行なわれているゆえ、世人は動物植物の研究といえば、すべて博物学の範囲内に属することと考えて、別に生物学なる独立の学科の存在することを知らぬようであるが、われらがもっとも明らかにしておきたいと思うのはこの点である。元来博物学なる名称は、自然物に関する学問のいまだ幼稚なころに造られたもので、今日のごとくに学問の発達した時代から考えるとすこぶる不適当な名前である。それゆえ今日ではもはやどこの国でも大学にこの名称の学科の設けてあるところはない。また新たに出版せられる学術的の雑誌、報告類にこの名称をかむらせたものは一つもない。今日の生物学なるものは従来博物学ととなえきたった境をすでに通り越して、はるかにそれ以上のものとなっているのであるゆえ、かれとこれとは決して同一視すべきものでない。これを混同するのは大いなる誤解である。
 しからば博物学と生物学とはいかなる点において相異なるかというに、その研究の目的物は同一であるが、これを研究する方法が全く違う。従来の博物学は単に自然物を記載し、分類し、各種の用途、能毒等を調査するにとどまって、科学の真髄ともいうべき推理力を用いる部分がほとんど全く欠けていた。それゆえ、なるべく多くの自然物をしり、なるべく多くその名称を暗記している人ほど斯学の大家と仰がれ、博物学の書物といえば徹頭徹尾自然物の記載のみであった。教育学の書物などには今日でも往々科学をわけて記載の科学と、説明の科学と…

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