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戦争と平和
せんそうとへいわ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「進化と人生(上)」 講談社学術文庫、講談社
1976(昭和51)年11月10日
初出「青年界」1904(明治37)年4月
入力者矢野重藤
校正者y-star
公開 / 更新2017-01-09 / 2016-12-09
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 日露戦争の始まって以来、どの雑誌もほとんど戦争の話で持切りのありさまで、あるいは海戦陸戦の実況を報じ、あるいは戦時における人民の心得を論じていたが、これは時節柄もっともな次第であった。しかしそのうち、戦時における心得を論じたものを見るに、多くは戦争と平和とを相反するもののごとくに見なし、戦時には平常と異なった特別の心得方が必要であるかのごとくに説いてあるが、戦争がすんで平和が回復せられたのちに、平和は戦争の反対であると誤解して、戦時に必要な心得をことごとく捨てて顧みぬようなことでもあっては、せっかくの戦勝の利益もその大部はしばらくの間に消えてしまうおそれがある。かような失策を防ぐためには、平生から戦争とは何か、平和とは何かという問題を研究してこれらを明らかにしておかねばならぬ。
 世の中には平和はつねであって、戦争は例外であると思うている人がとかく多いようであるが、世界の歴史を調べてみれば、実際はその反対であることが明らかに知れる。試みに歴史の中から戦争のあった時間だけを除いたとすれば、残りはほとんど何もない。かしこが平和であるときには、ここで戦争があり、甲の所で戦争が終わるころには乙の所で戦争が始まる。全世界を通じていえば、どこにも戦争のないという日は開闢以来おそらく一日もなかろう。一国一国に分けて論ずれば戦争と戦争との間には若干ずつの平和の時代がはさまっているごとくに見えるが、これもていねいに考えてみると決して真の平和ではない。その間には必ず砲台を築き、軍艦を造り、できうる限り兵力を整えて、意識的かあるいは無意識的かに次の戦争の準備に全力をつくしているゆえ、機が熟すればささいな口実を種にしてたちまち戦い始める。およそ戦争の芽を含まぬ平和は今日にいたるまでいまだ決して一回もなかったと言うてよろしかろう。さればいわゆる平和なるものはあたかも芝居の幕間のごときもので、単に次の戦争に対する準備の時期を言い現わす言葉に過ぎぬ。
 かように考えれば、戦争と平和とは元来決して根本的に性質の相反する二種の状態ではない、ただ生活という一種の引続いた働きの中の相交代する二様の時期を指してかく名づけるだけである。すなわち幕を開ければ戦争、幕を閉じれば平和であって、見物人の側からみれば幕間はすこぶる暇で退屈を感ずるが、幕のかげにいる人等はその間に精を出して働かねば次の幕の間に合わぬ。その上、いわゆる平和の時代にはまた平和の戦争と名づける劇烈な戦争があって、剣や鉄砲を用いこそせぬが、その敗北者が悲惨な境遇におちいることは決して真の戦争にも劣るものではない。これはすなわち人間の生存競争であって、いやしくも人間の生存している間はとうてい避けることのできぬものである。
 語をかえて言えば戦争は実であるが平和は虚である。世の中には評判のみ高くて、実際にないものが決して少なくない。たとえ…

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