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井戸
いど
作品ID57444
著者伊藤 左千夫
文字遣い新字新仮名
底本 「作家の自伝102 伊藤左千夫」 日本図書センター
2000(平成12)年11月25日
初出「馬醉木 第十一號」根岸短歌会、1904(明治37)年5月5日
入力者高瀬竜一
校正者noriko saito
公開 / 更新2017-05-30 / 2017-03-11
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 吾郷里九十九里辺では、明治六年に始めて小学校が出来た。其前年は予が九つの年で其時までも予は未だ学文ということに関係しない。毎日々々年配の朋輩と根がらを打ったり、独楽を打ったり、いたずらという板面を仕抜いていた。素裸で村の川や溝へ這入っては、鮒鰌をすくったり、蛙を呑んでいる蛇などを見つけては、尻尾を手づかみにして叩き殺す位なことは、平凡ないたずらの方であった。又たまにはやさしい遊びに楽しかったこともある。少し大きい女の子などにつれられて餅草を摘みにゆく。たんぽぽの花を取ったり、茅花を抜いたり、又桑を摘みに山へつれられて行ってはシドミの花を分けて根についてある実を探したり、夢の様に面白かったことは、何十年という月日を過ぎても記憶に存している。其いたずら童子に失敗的逸事が一つあって、井戸に関した事であるから書いて見よう。
 其九つの年の秋も末であった。そろ/\寒くなってきたので、野雀などを捕る頃になった。少しずつ貰った小使銭位では、毎日いたずら半分にかける「ハガ」の黐を買うのに足らない。そこで誰に教わるとなしに覚えた黐の製造をやる。其製造というは、小刀で黐の木の皮を脱がし、それを自分の口でかみ摧いては水に洗うのである。腰の弱い黐で、実際役には立たぬのであるが、よくやったものである。小刀、なた、鎌、などは能く持出しては失うので、それらの物が無くなりさえすれば、いたずら童子のわざと極って居った。それで小刀を持出す所を見つかると、忽ち叱られて取返されるが常である。此日は幸に親父が居ないので、早速小刀を持出して黐製造に取掛った。モウ十分かめたので水を釣って洗う順序である。小刀を井戸の桁の上に置いて水を釣ったが釣瓶を漸くの事引摺り上げると、其拍子に小刀はポカンと音して井戸の中へ落て了った。サア大変だ。又貴様小刀を持出して無くしてしまいやがったなどうした何をした。どこへ持っていったと畳懸けて呶鳴りつけられる。運が悪いと頭を一つ位ポカと喰らせられる。そこで児供ながら智を搾って井戸へ落した小刀を採り上げる工夫にかかった。九才の童子が井戸の底へ沈んだ小刀を引上げることは、仁川沖の沈没軍艦を引上げるよりは少し六つかしい位だ。
 此井戸というが余り深くない三間とはない深さだ。それから其小刀は素人作の桐の柄がすえてある。しかも比較的太い柄であるから井戸の底で小刀が逆立に立っているだろうと気がついた。それから遂に二間半程ある竹の棹の先に三四尺の糸を結びつけ、其糸の端に古釘の大きいやつをくゝりつけた。此発明竹棹を井戸へ入れて、四五遍廻して引き上げると、大きな鮒か何かを釣った時の様な調子に、小刀の柄の間に糸がからまって上ってきた。自分の考えた通りに苦もなく引き上げられたので児供ながらも其時の嬉しさというものはなかった。小躍りして悦んだことが今に忘れられない。斯の如き奇抜な働きをやっても当時窃…

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