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大和古寺風物誌
やまとこじふうぶつし
作品ID57496
著者亀井 勝一郎
文字遣い新字新仮名
底本 「大和古寺風物誌」 新潮文庫、新潮社
1953(昭和28)年4月5日
入力者酒井和郎
校正者阿部哲也
公開 / 更新2017-02-06 / 2022-02-23
長さの目安約 220 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

[#ページの左右中央]


斑鳩宮



[#改ページ]

飛鳥の祈り


 推古天皇の御代、上宮太子が摂政として世を治めておられた飛鳥の頃は、私にとって最も懐しい歴史の思い出である。私ははじめ史書によってこの時代を学んだのではなかった。大和への旅、わけても法隆寺から夢殿、中宮寺界隈へかけての斑鳩の里の遍歴が、いつしか私の心に飛鳥びとへの思慕をよび起したのである。海岸を思わせる白砂と青松、そのあいだを明瞭に区ぎっている法隆寺の土塀、この整然たる秩序を保った風光の裡に、千三百年のいにしえ、新しい信仰をめぐってどのような昏迷と苦悩と、また法悦が飛鳥びとをとらえたか。私は法隆寺の百済観音や中宮寺の思惟の菩薩に、幾たびかその面影をさぐってみた。頬に軽く指先をふれた柔軟な思惟像に彼らの瞑想の深さを偲び、或は百済観音のほのぼのとした清純な姿に法悦の高い調べを思ったりした。これらみ仏そのままの風貌で、飛鳥びとはこの辺を逍遥していたのであろうか。そこには永遠の安らいがあったに相違ない。はじめて法隆寺を訪れた頃は、私はこうした思いで心が一杯になり、夢中で斑鳩の址をめぐって歩いた。私の心にも漸く新生の曙が訪れそめた頃であった。
 しかしみ仏が次第に私を導いて行ったところは、必ずしも平穏な天国ではなかった。春風駘蕩たる時代でもなかった。仏像の美にひかれるままに経文を読み、また日本書紀や上宮聖徳法王帝説に接するにおよんで、私の眼ははじめて飛鳥の地獄にひらかれるようになったのである。とくに日本書紀を読んだことは、私にとってよろこびであるとともに非常な驚きでもあった。対外的のことは暫く措くとしても、国内的にみれば欽明朝より推古朝にいたるおよそ五十年のあいだは、眼を蔽わしむる凄惨な戦いの日々である。蘇我・物部両族の争いにとどまらず、穴穂部皇子や宅部皇子の悲しむべき最期があり、物部氏の滅亡についで、遂には崇峻天皇に対する馬子等の大逆すら起っている。しかもこれらの争闘は悉く親しい骨肉のあいだに起った悲劇であった。上宮太子が御幼少の頃より眼のあたり見られたことは、すべて同族の嫉視や陰謀、血で血を洗うがごとき凄愴な戦いだったのである。一日として安らかな日はなかったと云っていい。
 仏法はいまだ漸く現世利益か乃至は迷信の域を脱しない。さもなくば政略の具であった。諸家の仏堂は徒に血族の屍の上に建立されたかにみえる。書紀にしるされた全般をいまここに詳述は出来ないが、現今の斑鳩の里がもたらす和かな風光からは想像も及ばぬ。諸々のみ仏の大らかに美しいのが不思議なほどである。百済観音の虚空に消え行くごとき絶妙の姿も、思惟の像にみらるる微笑も、かの苦悩の日のひそかな憧れであったのだろうか。凄惨な生の呻吟から、飛鳥びとの心魂をこめて祈った、祈りのあらわれでもあったろうか。
 それにつけてもかかる時代に成長され、難…

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