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五瓣の椿
ごべんのつばき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十一巻 赤ひげ診療譚・五瓣の椿」 新潮社
1981(昭和56)年10月25日
初出「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2018-04-27 / 2018-03-26
長さの目安約 305 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

序章


 天保五年正月二日に、本所の亀戸天神に近い白河端というところで、中村仏庵という奇人が病死した。年は八十四歳であった。彼は大工と畳職の棟梁であるが、書をよくし、雲介舎弥太夫と号していた。それは、箱根へ湯治にいったとき、駕籠舁から息杖を買って帰り、その杖に諸家から題詩を貰って彫りつけ柱に掛けて自慢していた。それで雲介舎などとなのったらしいが、そのまえ、本所の小梅に住んでいたとき、役者の岩井紫若がその土地を買った。紫若はそこへ家を建てるので、追立てられた彼ははらだちまぎれに、その住み古した家の壁へ左のような狂歌を書いて立退いた。
雲介が住みあらしたる家なれば
河原乞食や跡にきぬらん
 奇人ではあったけれども、あまり世間からは好かれていなかったようだ。この仏庵の住居から一丁ほど南に寄って、やはり白河端に「むさし屋喜兵衛」の寮があった。むさし屋は日本橋本石町三丁目の薬種屋で、隣りに油屋も兼業してい、老舗としても資産家としても、市中にひろくその名を知られていた。
 仏庵が死んでから四日めに当る、同じ正月の六日の夜半、その「むさし屋」の寮が自火で焼け、焼け跡から三人の死躰が出た。兼業の油屋の品が置いてあったものか、建物の中は油が火を引いたもようで、柱まできれいに焼け落ち、三人の死躰も殆んど男女の区別がつかなかった。――寮にはおまさという中年の下女と、五助という下男がいた。五助はかよいで、夕方には自宅へ帰るが、おまさはもちろん住込みであった。しかしおまさも、その日は本所業平にある弟の家へ帰ってい、明くる朝、寮へ戻って来て初めて、その出来事を知った。
 町方の訊問に対して、おまさは次のように答えた。
「この寮にはいつもおかみさんがいました、それが十二月の二十九日に、ええ、仏庵さんの亡くなったのが二日ですから、日に間違いはありません」とおまさは云った、「二十九日の朝おでかけになって、あとずっと留守番をしていました、すると六日の午すぎに、日本橋のお店から旦那を戸板にのせて、おしのさんがいらしったんです、ええ、おしのさんはむさし屋の一人娘で、年はたしか明けて十八だったでしょう、おきれいで静かで、おっとりしたいい方でした」
 主人の喜兵衛は養子だった。年は四十五歳、三年まえに癆[#挿絵]で倒れたが、家付きの妻おそのは病気に感染するのを怖れて、看病は娘のおしのに任せ、自分は寮のほうへ移った。それ以来ずっと別居生活が続いてい、店へは寄りつきもしなかった。
「旦那は戸板のまま奥の間へ運ばれ、若い衆たちはすぐに帰ってゆきました」とおまさは云った、「おしのさんは奥の間で旦那の側に付きっきり、あたしが御用はないかと訊きにいっても、ただ静かにしていておくれ、お父つぁんの病気が重いから、と仰しゃるばかりでした」
 そのうちに香の匂いがして来、あんまり強く匂うので、どうかしたかと思ってみにゆ…

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