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『雪華図説』の研究後日譚
『せっかずせつ』のけんきゅうごじつたん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第二巻」 岩波書店
2000(平成12)年11月6日
初出「画説 第四十二号」東京美術研究所、1940(昭和15)年6月1日
入力者kompass
校正者岡村和彦
公開 / 更新2016-12-28 / 2016-09-09
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 前掲の『雪華図説』の研究というのは、ほんの思いつきのようなつもりで『画説』に書いたのであるが、脇本楽之軒氏が大変興味をもたれて、この後日譚を書く材料を集めるのに色々世話をして下さった。
 ことの起りは、脇本さんがかねて藤懸静也教授に会われた際、同教授が『雪華図説』の著者土井利位の家老であった鷹見泉石の裔と姻戚の間に在ることをきかれていたのに始まった。そして泉石の遺した書籍、手稿、遺品などが、只今藤懸教授の手許に保管されていること、『雪華図説』の間違いのない原本が一冊遺っていることなどを知らせて貰えたのである。
 前にも言ったように、この『雪華図説』は当時の欧米の学者たちの雪の結晶の研究とくらべて、なんら遜色のない立派な研究なのであって、江戸時代の日本の科学が遺した業績の中でも特筆すべきものなのである。ところでこういう立派な仕事が、当時の日本の武蔵野の一隅に忽焉として現われるはずはないので、何かこの書が出るには、それだけのものを産むべき学問の流れがあったにちがいないということは誰にも考えられる。
『雪華図説』の出た頃は、蘭学が既に我が国で隆盛の期に達していた。それで土井利位の仕事も、蘭学の系統に属していたにはちがいないので、当時既にかなりすぐれた蘭学者であったところの泉石の助力がよほどあずかって力あったものと考えられるのである。東京科学博物館刊行の『江戸時代の科学』には、『雪華図説』の著者として、土井利位の代りに鷹見泉石の名が挙げられているくらいで、あるいはこの研究は主として泉石によって為され、刊行の際にその殿様であった土井利位の名を冠したものではないかと疑われるくらいである。『江戸時代の科学』に著者として泉石の名を挙げた理由は、其の後鷹見家の後裔、鷹見久太郎氏に会って尋ねたが分らなかった。詳しいことは後述の通りである。
 こういう風に考えてくると『雪華図説』の研究をする場合には、どうしても鷹見泉石のことを詳しく知る必要がある。それで脇本さんに紹介を願って、一日帝大の美術史研究室に藤懸教授を訪ね、泉石の遺品を見せて貰い、かつ泉石のことについて色々の話を承った。きいて見ると、泉石は家老として非常にすぐれた人であったばかりでなく、蘭学者としても立派に一家をなしていたらしい。それに色々面白い話があり、特に崋山の泉石像のことや陶工道八の名前まで出てくるので、その話は『画説』の読者にも興味あることと思われるので、教授の談話を紹介することとする。
藤懸静也教授の談話より
 泉石の本名は鷹見十郎左衛門忠常、字を伯直といった。天明五年古河の家老の家に生る。早くから父に従って江戸に出て修業につとめた。幼にして天才の名があって、絵を巧みにし、十二歳の時に既に寛永三補図を写した。三補とは土井、酒井、本多を指す。
 文化年間、露西亜がエトロフに入り、北辺を擾がした。泉石はその刺戟を…

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