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米粒の中の仏様
こめつぶのなかのほとけさま
作品ID57865
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第二巻」 岩波書店
2000(平成12)年11月6日
入力者kompass
校正者岡村和彦
公開 / 更新2017-05-25 / 2017-04-19
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ミミーはまだ生れて二月にしかならぬ仔猫であるが、ペルシャ猫の血が混っているということで、ふさふさとした毛並みの綺麗な猫である。毎日ひまさえあれば子供達にぶら下げられて可愛がられるので閉口しているようであるが、感心におとなしい行儀の良い猫である。一番感心なことは、台所の隅に子供達の古いお椀を置いて、それに御飯を入れて置いてやると、いつの間にかすっかり喰べてしまって、洗ったように綺麗にしてしまうことである。とかく猫というと御飯を残したり散らしたりして汚くして置きやすいものなのにこれはまたちょっと珍しい猫である。
 今朝も朝陽を浴びながら、四畳半の茶の間で子供達と一緒に朝食を喰べていて、その話が出た。ミミーもすぐ横の台所の板敷の上に、暖かい御飯に味噌汁と鰹節をかけたのを貰って、立ち上る湯気を迷惑そうに眺めながら、側におとなしく坐って御馳走の冷えるのを待っていた。その少し薄暗い台所に白い湯気の立っている景色からの連想からか、ふと子供の頃の田舎の家のことを思い出した。その頃家に居た大きい白猫のことをよく祖母が可愛がっていて、「御米の粒の中には、一粒々々に仏様がいらっしゃるんだが、猫が喰べようとすると、その仏様が皆逃げ出されるので、猫が喰べても人間が喰べた時のように美味しくはないのだ。それで猫はきっと御飯を残すものにきまっているのだが、可哀そうなものだ」といっていたのが思い出された。それでその話を皆にして見たら、この四月から学校へ上るという一番上の女の子が眼を円くして聞いていた。そして御飯がすんだ時に、空の茶碗を私の方へ見せながら、「ほら、仏様が一つもついていないでしょう」といった。
 天恵の少い北国の寒村では、昔はすべての物資が皆大切であった。特に米に対しては特別の信仰を持っていたらしく、私の祖母などの眼には、一粒々々の米の中に、皆仏様が見えたのであろうと思われる。従って子供達に対する教育といえば何よりも物を粗末にしないという点が強調されていた。食事の時にこぼした御飯を拾って喰べるということなども、衛生とか経済とかいう立場を離れた絶対的のものであった。それは本当に一体々々の仏様なのであった。こういう考えは日本中の農村に行きわたっていたのであろうが、特に北陸地方や東北のいわゆる裏日本には、都鄙を通じて根強く浸み渡っていたものである。もっとも少し都会地になっている所で育った私の妻などは、同じことながら少しちがった教育を受けていたようである。この話の出た時にも、妻は「私達も子供の時から、米は粒々辛苦なものだから一粒も粗末にしてはいけないとよくいわれていました」という話をした。米粒の中の仏様という表現と粒々辛苦という表現との差は、本当に米を作るものと、作らないものとの違いからきたのであろう。もっとも十年の年代の差によるのかも知れない。
 こんな話は子供達には分らないだろうと…

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