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鼠の湯治
ねずみのとうじ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第二巻」 岩波書店
2000(平成12)年11月6日
初出「思想 第一九五号」岩波書店、1938(昭和13)年8月1日
入力者kompass
校正者岡村和彦
公開 / 更新2017-11-19 / 2017-10-25
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この話は、北大のY教授の研究室でなされた、鼠に湯治をさせる話である。
 ちょっと聞くと、少し唐突な話のようであるが、温泉が外傷の治癒に効くという昔からの信条を科学的に調査するために、鼠に傷をつけて、それを温泉に浸して、果してどれ位治癒に貢献するかということを調べたのだから、別に妙な話ではない。
 事の起りは、外傷の自然治癒について、量的の研究はあまりないので、それを研究してみようというのであったそうである。最初に手をつけたのは、その研究室員の一人O君であった。まず沢山鼠を飼って、その各々に大体一定の大きさの傷を胴の所につけて置いて、その面積を毎日プラニメーターで測るのである。そして傷が治って行くにつれて、その面積の減少して行く様子を、時日の函数として図に描いて見るというのがその実験の方法であった。勿論鼠は生きているのだから、そうおとなしくプラニメーターで傷の面積を測らせてはくれない。それで、薄いパラフィン紙を押しつけて傷の形を写し取って、その面積を測ったのだそうである。
 ところで、こういう実験は、相手が何しろ生き物であるから、そう簡単に測定値が巧く一本の曲線の上に載って、その曲線が数式で現わされるという風には行かないのは当然である。測定値は大体時日の経過と共に小さくはなって行くが、随分ばらばらに散っていて、一つや二つの例を見たのでは、一体どういう曲線が基準になっていて、それから個々の測定値がどう偏倚しているのか、まるで見当が付かないのが普通である。
 O君の初めの目的は、食物が外傷の自然治癒にどう影響するかを見るつもりだったそうである。昔から脂っこいものを食べると、傷の治りが遅いという風なことがいわれているので、そのような言い伝えが科学的に立証されるかどうかを調べるのも一つの目的であった。
 まず大体似たような条件の鼠を二十匹か三十匹くらいだったか集めて一つの群とする。そしてそのような群を四つ作って、第一群は標準食、第二群は脂肪食、第三群は蛋白食、第四群は澱粉食という風に、食餌をそれぞれ特別に選んで、その食餌で相当の期間養って置く。そして鼠の身体がすっかり決ったところで、円形に近く皮膚を切り取って傷をつけて、その自然治癒を毎日観測するのである。こういう風にあまり組織立てて、初めからちゃんとした体系を立てて研究を始めるのは勿論良いことではあるが、それだけになかなか面倒なことも起きるのである。一番困ることは、無闇と沢山資料が出来ることである。一枚一枚の図がどういう曲線にしたら良いか分らないようなばらばらの形のものが、百枚近くも一度に出て来ては、ちょっと困るのである。
 実はO君も少々手を焼いたと見えて、「一体物理の方では、こんな時にどうやるんですか」という相談がきたのである。それでとにかく資料を一度全部纏めて見せて貰ったのであるが、なるほどO君が閉口しただけ…

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