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室鰺
むろあじ
作品ID57872
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第二巻」 岩波書店
2000(平成12)年11月6日
初出「サンデー毎日 第十六年第五十八号」1937(昭和12)年11月14日
入力者kompass
校正者岡村和彦
公開 / 更新2017-10-25 / 2017-09-24
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 伊豆の東海岸のこの温泉地では秋風の立ち始めるとともに、また室鰺が沢山漁れ出した。去年の秋の暮、少し静養の意味で、漁港と温泉とを兼ねたここの土地へ移ってきてからもう一年に近い。初めてきた時はちょうど室鰺の盛りの時期であった。通りに面して魚屋の店先には、小鰺と、室鰺との干物が一面に並べられて、秋の陽を一杯に受けながら行儀よく並んで乾されていた。それがいつの間にか段々少くなって行く中に春がきて、今また秋とともに室鰺の大群がここの海にかえってきたのを見ると、季節の移りかわりがよく感ぜられる。
 誰の発意か分らないが、開いた鰺を一面に並べた網の枠は、少しばかり斜に立てかけられて、その上の方に煽風器が置いてある。そして煽風器の金網には五尺ばかりの色テープが結びつけられていて、煽風器が首をふるにつれて、その色テープが鰺の上を撫でながら蠅を追うような仕掛になっている。なるほどこうすれば乾燥も早いし、蠅の心配もないし、名案だと感心したらどこでも皆そうしていますと笑われた。しかし初めて考えた人は偉いと思った。
 ここへきて新しい干物を喰べてみて、初めて干物というものは美味いものだと分った。今まで魚を干すということは貯蔵の一つの方法だと簡単に考えていたのであるが、本当の新しい干物というのは一つの料理法だということに初めて気が付いた。朝、水から揚ったばかりの室鰺を魚屋が持ってくる時は、青銀色の肌にエメラルドの緑の斑点がまだ燦爛と輝いている。それを直ぐ開いて貰って、自分の家で干して、夕食の膳に供えるとちょうど良い位の喰べ頃になるのである。初めは蠅の止ることを気にしたのであるが、その心配は全くいらぬことが直ぐ分った。魚もこれ位新鮮なものになると、全く臭いがないと見えて、外にさらして置いてもほとんど蠅が寄り付かないのであった。強い秋日にジリジリと照りつけられている魚は触って見ると熱い位になっている。釣った魚を魚籠の中に入れたまましばらく日当りの所を持って歩くと、すぐなれて味がすっかり落ちてしまうことから考えてみて、このような温度に長時間魚を保っておいて腐敗しないのが不思議である。もっとも専門の人にきいてみたら、特殊の酵素とか細菌とかが腐敗を防止しながら、蛋白質の変化を起して、生の時にはないような良い味のものを作るのだというような説明があることだろうと思う。魚を焼く場合は、よく見ると肉の内部にある水が沸騰してその中で肉が煮えていることは誰でも気の付くことである。それで焼いた魚というのは、極めて少量の水で煮たということに大体なりそうである。干物の場合はそれよりも低温でその代り長い時間の間その温度を保ちながら徐々に何かの変化を起させたものであろう。水分はその変化の進むにつれて適当に蒸発して反応の速度を徐々に小さくさせるとすると、ちょうど良い所で美味い干物が出来そうな気がする。もっともこんなこ…

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