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金魚は死んでいた
きんぎょはしんでいた
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宝石九月号」 岩谷書店
1954(昭和29)年9月1日
初出「宝石九月号」岩谷書店、1954(昭和29)年9月1日
入力者sogo
校正者大野裕
公開 / 更新2017-08-11 / 2017-07-17
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「おやおや、惜しいことしちまつたな」
 思わず口から出たひとりごとだつたが、それを聞きとがめた井口警部が、ふりむいて、
「なんだい。何が惜しいことしたんだね」
 というと平松刑事が、さすがに顔を赤らめひどく困つた眼つきになつて、
「いえ……その……金魚ですよ。こいつは三匹ともかなり上等のランチュウです。死んでしまつているから、どうも惜しいことしたと思いまして」
 と答えたから、捜査の連中も鑑識の連中もあぶなくぷッと吹きだすところだつた。
 眼の前に、人間の死体があつた。
 庭先きの土の中に、大ぶりな瀬戸物の金魚鉢が、ふちのところまでいけこんであつて、その鉢のそばで、セルの和服を着、片足にだけ庭下駄をつつかけた人間の死体が、地べたに這いつくばつている。
 のちにわかつたが、死の原因は青酸加里による毒殺だつた。死体の両手がつきのばされて、鉢のふちに掴みかかろうという恰好をしている。多分被害者は、苦しみもがき、金魚鉢のところまで這いよつてきて、口をゆすぐか、または、鉢の中の水を飲もうとしたのだろう。その時、まだ口に残つていた毒が水中へしたたりおちたために、金魚も死んだのだと思われる。しかし、問題はこの毒殺死体だつた。断じてまきぞえをくつた金魚ではない。だのに、人間の死体のことではなくて、死んだ金魚のことを先きにいつたから、いかにもそれは滑稽な感じがしたのであつた。
 事件は五月六日の朝、発見された。
 場所は、岡山市の郊外に近いM町で、被害者は、四年ほど前まで質屋をやつていて、かたわら高利貸しでもあつたそうだが、目下は表向き無職であつて、それもたつた一人きりで暮していた刈谷音吉という老人である。
 発見者は、老人の家のすぐとなりに住んでいて、去年あたり開業した島本守という医学士だつたが、島本医師は、警察へ事件を通報すると同時に、大要次のごとく、その前後の事情を述べた。
「私は今朝急患があつて往診に出かけました。ところが往きにも帰りにも、老人の家の門が五寸ほど開きかかつていたから、へんなことだと思つたのです。近所でもよく知つていることですが、老人はかなりへんくつな人物です。ひどく用心ぶかくて、昼日中でも、門の内側に締りがしてあり、門柱の呼鈴を押さないと、門をあけてくれません。私は気になりました。となり同士だから、時々口をきき合う仲で、ことに一昨日は、私が丹精したぼたんの花が咲いたものですから、それを一鉢わけて持つて行つてやり、庭でちよつとのうち、立話をしたくらいです。私は老人には、その時に会つたきりですけど、どうも気になつてなりません。それで、帰宅後三十分ほどしてから、老人の家へ行つて見たのですが、……」
 そこは医師だから、すぐにもう毒死らしいと気がついたのだという。
 その時、すでに体温がなかつた。
 島本医師の意見でも、またあとできた市警の医師の意見でも…

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