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趣味の向上
しゅみのこうじょう
作品ID57977
副題――青年学生のために――
――せいねんがくせいのために――
著者会津 八一
文字遣い旧字旧仮名
底本 「會津八一全集 第七卷」 中央公論社
1982(昭和57)年4月25日
初出「興風」1924(大正13)年12月
入力者フクポー
校正者鴨川佳一郎
公開 / 更新2017-11-21 / 2017-10-25
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「それは意見の相違だ」と互に頑張りあつて、相下らない。こんな事は世間の政治家の間などには、珍らしくも無くなつて仕舞つたが、「趣味の相違」といふ捨科白を美術や文學などに心を寄せる人々との間にも折々聞かされるので、其度毎に私はいやな思ひをする。世の中がデモクラチックになつて行くに從つて、意見の相違も重大さを増して來るであらうし、文藝上の事も畢竟趣味の相違に、あらゆる議論が歸着するかもしれぬが、それは究竟地のことであつて、最初から「趣味の相違」を持ち出すのは不謹愼な、そして危險千萬な話である。
       ×     ×     ×
 趣味には相違といふ事のほかに階級がある。即ち高い低いがある、淺い深いがある、精粗の別がある、あらゆる人のあらゆる趣味を同一の平面上に配列して、それをみんな互角だとするのは寧ろ突飛な、亂暴な仕業だ。或る人は高く、深く、練れた趣味を持ち、又或る人は淺く、低く、なまな趣味よりか持たぬといふ事は、實際目の前にいくらもある事だ。そんな場合にでも『それは趣味の相違です』と澄まし返つて居る譯には行くまい。
       ×     ×     ×
 低い所から高い方へ登るのは、骨が折れるものだ。しかし骨を折ればこそ高くもなるのだ。高くなればこそ骨も折れるのだ。したがつて骨が折れたゞけの效能もなければならぬ。水は低きに赴く。趣味も、多くの人の信ずる如く、唯だ Easy going な樂みといふだけを能事とするならば、よし低下するとも、向上などはあり得ない。趣味を享樂そのものと誤解したり、「趣味の相違」を楯に取つて澄ましたりして居れば、低下、墮落は請合である。
       ×     ×     ×
 よく世間では、趣味の享樂に大騷ぎをして居る一群の人々がある――私自身もそんな連中の一人だと折々誤認されるのであるが――その種類の人達は趣味といふ物を人間の生活から引き離して(つまり人間生活の中から趣味的なエッセンスだけを蒸溜でもして)趣味そのものだけを樂しまうとするのであるが、これは私にとつては、甚だ感服せぬのである。ラティン語の諺に
VITA SINE LITERIS MORS EST
といふことがある。これは「文學の無い生活は死なり」といふ意味になるが、今では、これから更に一歩を進めて、吾々の生活の中から、文學とか美術とかいふ物だけを引き抽いて、其他は總て捨てゝ仕舞つて、唯だこれだけを樂んで行かうといふ風に、餘程文藝趣味の享樂に重きを置いて考へる傾向が生じて來た。なるほど其れ位の勢でなければ、進歩もなし得ないかもしれぬ。そして又其の人の熱心の程度によつては無理も無い事でもあらうが、ともかくも全的な生活から趣味だけを引き離すことがそも/\吾々を遠い謬見に導き去る第一歩だ。
       ×     ×     ×
 文學といふ言葉もなく、美術とい…

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