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学問の独立
がくもんのどくりつ
作品ID57980
著者正宗 白鳥
文字遣い旧字旧仮名
底本 「正宗白鳥全集第二十七卷」 福武書店
1985(昭和60)年6月29日
初出「読売新聞 夕刊」読売新聞社、1938(昭和13)年1月22日
入力者フクポー
校正者山村信一郎
公開 / 更新2016-10-28 / 2016-09-09
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 明治三十年代だが、私が早稻田に學んでゐた時分、「學問の獨立」がこの學園の標語であるやうに、折に觸れて學校經營者から聞かされてゐた。慶應義塾の「獨立自尊」に匹敵する立派な言葉であるが、學問の獨立といふ意味は、英語とかドイツ語とか、外國の言語に頼らないで、日本の言語文字で諸般の學問を爲遂げられることであつたらしい。つまり法律、政治、經濟などの學問を日本譯で學ぶといふことで、何も西洋のそれ等の學問を無視して、日本獨特のそれ等の學問を樹立することではなかつたやうだ。英語政治科の外に邦語政治科があつたが、後者は前者よりも一段格が下つてゐた。文科の方でも、邦語英文學科といふやうなものがあつたら、我々もその方が面倒でなくてよかつたのであるが、學問の獨立もそこまで徹底されなかつた。
 その時代には、教師が舶來の學問を日本語に譯して説明するだけの講義を聽いても、我々はそれを學問の獨立的講義であると信じて、少しも疑問を起さなかつた。學問と云ふと西洋のものを移植することゝ、事が極つてゐたのだ。
 ところが、近年は「學問の獨立」の意味が著しく異つて來た。學問の研究には他の何ものからも干渉されず、束縛されないといふ毅然たる態度を意味することにもなるであらうが、それよりも現在の風潮から云つて、西洋の學問追隨の弊風を脱して日本的に獨立すべしといふ意味に取つた方がいゝかも知れない。元來、飜譯や受け賣りの講義を「學問の獨立」と稱したのは合點の行かぬ次第なのだ。
「あらくれ」といふ小雜誌の新年號所載の或る感想録を讀むと、歐洲大戰爭の時、ドイツなどから書物が來なくなつたので、桑木博士などが「困つたものだ。」といふやうなことを一寸いふと、岩野泡鳴が、「そんな風にいつも西洋にばかり頼つてゐるからいけないんだ。なぜもつと獨創的の學問を立てないのだ。」と、小つぴどくやつゝけたことが記されてゐた。勇敢なる泡鳴はすべてその調子で、獨創を念としてゐたのであつたが、その泡鳴だつて、アーサー・シモンズの『象徴派の運動』といふ西洋の本を虎の卷にして、ポーだの、ボードレールだの、ヴエルレーヌだのにかぶれてゐたのだから面白い。
 しかし、今日あの頃よりはすべての學問が非常に進歩してゐるのだから、哲學でも政治學でも、さぞ日本的色彩の鮮明な獨創のものが續出せんとしてゐるのであらう。



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