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私も講演をした
わたしもこうえんをした
作品ID57983
著者正宗 白鳥
文字遣い旧字旧仮名
底本 「正宗白鳥全集第二十七卷」 福武書店
1985(昭和60)年6月29日
初出「週刊朝日 第二十二巻第二十六号」朝日新聞社、1932(昭和7)年12月4日
入力者フクポー
校正者山村信一郎
公開 / 更新2016-10-28 / 2016-09-09
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 圓本續出の時代にはこの宣傳に利用されたためか、文學者の講演が盛んであつたが、このごろはあまり流行しなくなつた。文筆業者のうちでも、新聞記者とか政治、經濟の評論家とかいふ種類の人々は、演説にも馴れてゐて、自然上手になつてゐる譯だが、小説家や詩人のやうな純文學者は概して演壇向きでないやうである。だから聽衆の方でも知名の文人の顏を見るだけの興味で會場へ行くので、演説そのものに感心することは甚だ稀なのではないかと思はれる。文學者講演會の次第に流行しなくなつたのも、そのせゐではあるまいか。
 改つた演説は不得手であつても、テーブルスピーチは、文壇の諸氏もなか/\上手になつた。これは文壇人の會合に限つたことではないが、日本人は、この點でも西洋の流風に習つて宴會の卓上演説が巧みになつて來た。日本人の素質からいつても、講壇上の本式の演説よりも簡單なテーブルスピーチを、小器用にやつてのけるのは、さもあるべきことのやうに思はれる。しかし、この卓上演説の進歩發達も、時としては害毒を流す傾向がないでもない。私などたまに會合に出席してこつてりした西洋料理で食もたれをしてゐる後で、次から次へと、五分十分の演説が續くので苦惱を覺えることがあるのである。スピーチする人は、みんな巧い。氣の利いたことをいひたがり、諧謔を弄して人を笑はせようと企てられてゐる。二つ三つはいゝとして、續々と、それをやられるのは私には甚しく閉口なのである。
 ところで、私は、幸か不幸か、テーブルスピーチや壇上演説が甚だ下手なのである。一生さういふ者はやるまいと決心してゐた。だが、人間は、生きてゐるうちは、「斷じて」何々しないなんてことは公言出來ないもので、私も、今年は珍しく、二度も續けて講演らしいものをやつた。帝大の或る會と、早大の五十年記念の文學講演會とにおいてであつた。輕井澤で二月の間しよんぼり暮した後であつたためか、帝大の一學生が幹事役として依頼に來た時に、小人數で座談的に何か話すのなら出席してもいゝと答へておいた。東京に滯在中であつたし、不斷私用も公用ももつてゐない私のことだから豫定の日に、時刻を見計らつて、散歩でもするやうな氣で出掛けた。正門を入つて見ると、或る教室の入口に、大きな立看板が出て、私の名と演題とが書いてあつた。こんな大袈裟にされるはずではなかつたがと變に思ひながら、そこへ入つて、幹事の居所を訊ねるとこの先の何處とかへ行けと教へられたので、そちらへ行つたが、目差したところがよく分らないので薄暗い建物の中をまご/\した。事務員見たいな人に訊ねても、叮嚀には教へてくれなかつた。昔からさう思ひ込んでゐるせゐか、官立大學は官僚的だなあと感ぜられた。全體私の風體からしてこんな堂々たる學堂へ入り込むのは相應しくないので、田舍爺が東京見物に來た次手に日本一の學校を覗きに來たといふ有樣であつた。そこで思ひ出し…

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