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ある死、次の死
あるし、つぎのし
作品ID58091
著者佐佐木 茂索
文字遣い新字旧仮名
底本 「編年体 大正文学全集 第十巻 大正十年」 ゆまに書房
2002年(平成14)年3月25日
初出「新潮 第三十四巻第五号」新潮社、1921(大正10)年5月1日
入力者富田晶子
校正者日野ととり
公開 / 更新2017-01-01 / 2018-01-21
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 花嫁が式服を替えて、再座に著いた頃には、席は既に可なりな乱れやうであつた。
 隆治夫妻は、機会さへあれば、もう帰りたいと思つてゐた。そこへ、廊下伝ひに来た女中が、彼等の背後の障子を静かに開けた。
「吉田さん、でいらつしやいますね。」と確めるやうに一つ微笑してから、「御電話で御座います。」
「おい。」
 隆治が気軽に起たうとすると、妻の綾子が「私が参りませう。」と、女中のあとを、廊下へ出てしまつた。
 隆治は、いゝ機会だから、これで帰らうと思つた。それで、床の前に坐つてゐる当夜の花嫁花婿を眺めながら、ぼんやりと腹の中で帰る口上を考へてゐると、
「あなた!」と不意に背後の障子が開いた。妻は、息をはづませてゐる。「あなた、孝ちやんが死んだのですつて!」
 思ひきり障子に掴まつた右の手先が、おかしいほど震えてゐた。
「なに!」
「たつた今。」ぐつと声を落した。「毒を嚥んだのですつて!」
「ほ!」
 思はず隆治も声を低めた。
「で、すぐいらして頂けないかつて。孝ちやんのお母様が電話口に出てらつしやるの。」
 隆治は、すつかり聞き終らない中に、起ち上つた。障子の外へ辷り出ると、その儘そつとあとを閉めて、夫妻は近々と顔を見合せた。綾子は驚いた時の癖の、左の眉を心もちひきつるやうにあげてゐた。
 廊下から、廂を通してみた空は、雨催ひの、しつとりと押へつける様な空だつた。庭木は、灯の光りの及ぶ限りの葉を照らされて、深々と黝ずんでみえたが、みづ/\した苔の庭土は、妙に明るい色だつた。
「さあ、おい。」
 椿の葉だなと、鉢前の一むらの繁みを見て、何のかゝわりもない事を、ぼんやりした心の片隅で確めながら、隆治は妻を促した。



「まあ、なにしろお芽出たのお席なんですからと、電話を借りに参ります前にも、よつぽど、思案致しましたのですけれど、どうにも私たちだけぢや、只うろ/\するばかりで、何とも仕様が御座いませんので、誠にどうも、…………お騒がせ申しまして。」
 確りしたなかに、何処か隠し切れない人のよさを持つてゐる死んだ孝一郎の母親は、隆治夫妻が俥から降りて玄関にかゝつた時、すぐかうしたことを口早に、しかも可なりな明晰さで云ひ告げながら、ぺつたりと其処へ両手を突いて、ゆつくりしたお辞儀をした。
「まあ、それは、あとで。」
 隆治が、帽子をとつて、挨拶をしやうとすると、すつかり興奮し切つてゐる妻の綾子は傍らからさう云つて、ずん/\座敷の方へ行きかけた。隆治は、妻の思ひつめたさまを見ると、微かな笑ひともつかない笑ひが、不意に場所柄でなく現はれた。母親も淋しい微笑を示した。
「では。」
「どうぞ。」
 これだけの事を、無言で応答して立ち上りながら、帽子を掛けやうとすると、母親が手を出したので、そのまゝ渡した。腰をかゞめて、隆治もすぐ妻のあとを、奥へ続いた。
 八畳の座敷の、床を…

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