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政治趣味の涵養
せいじしゅみのかんよう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「大隈重信演説談話集」 岩波文庫、岩波書店
2016(平成28)年3月16日
初出「早稻田學報 第貳百參拾參號」早稻田大學校友會、1914(大正3)年7月10日
入力者フクポー
校正者門田裕志
公開 / 更新2018-05-26 / 2018-04-26
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

〔政治ほど面倒なものはない〕
 人生百般の事の中、およそ政治ほど面倒なものはない。恐らく人間の仕事のあらゆる仕事の中にて、政治は最も困難なる事業の一つであろうと思う。全体、政治の術……予は学問とは言わぬ、術というが、政治の術はすべて国民の政治的心理の上に、人の心の上に働く術である。術にはいろいろあるが、この術の中で最も困難なる術の一つであると思う。これを平易に説明すると、たまたま何か功を為すことがあると、人の嫉妬心を招く。人間には嫉妬心の多いもので、ことに政治上に現れる嫉妬というものは最も甚だしい。この嫉妬があるために政治の進歩になるのか知れぬが、なかなか嫉妬が多い。手柄をするときっと嫉妬が起る。それから少し蜘[#挿絵]していると、あれは意久地がないといい、たまたま少しやり損なうと直ぐにこれを責める。なかなかむずかしいものである。

〔政治は国民の反響なり〕
 術には天才もあるが、これには何でも稽古しなければいかぬ。学ばなければいかぬものである。この政治も実をいうと、よほど経済的に少なく労して多く収めることを主にしなければいかぬ。政治はある意味から言えば、専門に相違ない。専門には相違ないが、例えば芝居を見ても団十郎とか菊五郎とかいう名人がおっても、これを批評するものがないとその真の技倆は分らない。見物の目がこれを見るだけの明がなくては仕方がないわけである。それを褒めないで、却って壮士芝居の方が面白いというようなことになる。これはつまり批評家がないからである。有ってもその批評が悪いからである。何でも人の上に働く術はそういうもので、批評家が悪いと如何に巧妙なる術を行っても一向それが分らぬ。これを嫉妬心よりして言うと拙ないと言うて笑う。
 予は今日日本のすべての政治的国民の心理が甚だ幼稚であると思わざるを得ないのである。こう言うと自分がえらそうに聞えるが、見物人が甚だ度が低い。その度の低いところには如何なる天才も術を施すところがないと思う。ここに於て平凡な話であるが、政治は国民の反響なりといわなければならぬ。かの支那で民主国を拵えた。しかしながら、事実支那人はなんらそういうことの考えはない。それで直ぐ革命も失敗してしまった。かくの如く国民の心理が発達せずして批評家が幼稚なるは何に基するかというと、教育が悪いからである。教育が悪いに依って高尚なる意味に於ける政治が出来よう訳がない。政治家が起らぬ。芸術家が起らぬ。而してすべての事が段々卑近になって来る。思想界に一度病が起ると、文学でも画でも甚だ卑猥なるものが流行して来る。政治もまた同様で、政治家が段々堕落する。これは政治家も悪いに相違ないが、批評家が悪いのである。この批評家が盛んに起って来て、初めて政治という術を行う人の技倆が現れて来るのである。
 さて今日の教育は段々進んでは来た。それに従ってよほど学問は進んだが、…

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