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妹の死
いもうとのし
作品ID58130
著者中 勘助
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆99 哀」 作品社
1991(平成3)年1月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2017-11-26 / 2017-10-25
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

今から十八年前の秋、ひとりであの島ごもりをしてたときに私は九州へかたづいてる妹が重体だという思いがけない知らせをうけとった。私は涙をうかめたけれども島を出ようとはしなかった。そのときそんな気もちでいたのである。ところが妹の容態はその後いくらか見なおして床についたままではあったがつぎの年の夏までもちこたえた。左にかかげる小品はその夏妹が私にあいたがってるということをきいていよいよ望みがなくなった彼女を嫁いり先へ見舞ったとき、たぶんその死後間もなくなおまざまざしい記憶と生前枕べでの手控えをたよりに思い出ぐさにもとおもって書いておいたものである。


 来てみたら妹は見るかげもなく痩せていた。前ぶれをしなかったのでどんなに驚くだろうと思ったが、驚きもし喜びもするはずのところを極度の衰弱のために目にみえるほどの興奮も示し得ずに――かような不随意的な無表情はそののち私も病気で衰弱したおりに親しく経験したことである――ただひと晩じゅうほとんど眠らなかった。妹は痩せたために顔がわりがしていた。どちらかといえば細かった目がぱっちりとして切れがながくなり、おとなしく小さかった口が一の字にしっかりと結ばれて、笑うと口もとに縦の深い窪みができる。蒼白く弱弱しい皮膚のうえに、それはかつて妹の容貌のうちでいちばん美しいものであったところの柔くひいた眉がまえよりも濃くのびらかになったようにみえる。どこといってとりたてて目にたつのではないがすべてが尋常に人好きのするほうであった顔になにかいい意味で技巧のかおりのする彫刻的な美しさがそわっている。――私は後にはからずその似顔を能面の孫次郎に見出した。妹も能が好きだった。それゆえ彼女が私のためになんぞ骨の折れることや気のすすまぬことをしてくれたときには「御褒美だ」といってよく能につれていった。そんなことのために私はこの小品に 孫次郎 という表題をつけようかと思ったこともあった――私と不意の久しぶりの顔を見あわせてから暫くして妹は
「□□さんたいへんふとったわね」
といった。これが最初の言葉だったかもしれない。挨拶なぞはしていられないほど衰えていたのだ。
 どんなところかと思ってきたら妹はぽっつりと土塀にかこまれた陰気な家に住んでいた。病室のまえの二坪か三坪の地面にひばが四、五本ならんで、土塀のうえの瓦のすきまにつんぼ草がからからにはえている。ときどき色のうすい弁慶蟹が目をうごかしながらじわじわとはいあるく。夕がたになると無数の蜘蛛がひばの枝から枝へ、また軒から瓦へといそがしく巣をかける。守宮がでる。そんなものが大嫌いだった妹は枕にひったりと頭をつけたなりまるで見えないもののように平気でそれをみている。反対の側のやや広い地面には姿もない木がばらばらと立って、そのなかに赤い実のなる小さな木がまじっている。やっぱり無数の蜘蛛が巣をかける。精霊とんぼ…

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