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百済観音と夢殿観音と中宮寺弥勒
くだらかんのんとゆめどのかんのんとちゅうぐうじみろく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆46 仏」 作品社
1986(昭和61)年8月25日
入力者富田晶子
校正者noriko saito
公開 / 更新2017-01-01 / 2017-01-01
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この三つの像は飛鳥の代表的な彫刻として世に有名であるが、その三つの像を飛鳥の彫刻から排除した理由は既に述べたところである。こゝにはそれらの像が、何故に白鳳時代のものであるかの理由を述べたい。
 百済観音はその異様な長身が不思議な美しさを示し、仰ぐものの心を高い天上へ誘うような感銘を与える。この特異な美しさこそ、実はこの像を白鳳のものたらしめるのである。この特異な長身は、整然とした均衡を破り、安定性を越えようとすることによって、主張されているのである。もちろん作者の非凡な感覚は、飛鳥的な均衡や安定性を破りながら、別途の均衡美を示している。そこには今までの飛鳥的なものに満足出来ず、それを越えようとする新しい意欲を示している。この新しい意欲こそ、白鳳的性格というべきものである。またこの像は飛鳥の彫刻が、立体的なものを積み上げるような造型性を示したのに対し、立体を包む線条の美しさを示すところに、新しい造型美を示している。その結果その立体美は、意志的なものでなく感情的なものとなり、一種の叙情的な美しさにまで発展している。こうした造型感覚の根本的な相違を、材料が同じく楠であるとか、目が杏仁様であり口が仰月状であるとかの、類似のために見落してはならない。
 この像を南梁様とか隋様とか称したのは、この造型感覚の相違するものが、同じ時代にあることの矛盾を解決するために、系統の相違によるものと解したためである。しかしこの新感覚の造型は、飛鳥の主流をなした北魏様に先駆したのでもなく、また並存したのでもなく、北魏的なものが飽和した時に現われたもので、そこにはやはり時代の下るものが考えられるのである。
 それはまたこの像の造型感覚が、法隆寺金堂の四天王像に通じていることからも考えられる。飛鳥の造型は転進して、この百済観音および四天王像の造型へと達するのである。この傾向のものに法輪寺の薬師如来像や虚空蔵菩薩像その他小金銅仏などが見られる。それらは決して偶発的に、飛鳥の中にあらわれたのではなく、白鳳という大きな新しい感覚の先駆として、登場しているのである。この像を先駆と呼んだのは、この新傾向を代表する四天王像に比べ、技法的に古いものが見られるためである。
 またこの百済観音の時代が下ることに就いては、その台座の蓮弁に胡桃形の隆起が作られていることや、宝冠の透彫意匠が白鳳的になっていることからも考えられる。この像は飛鳥的でなく、白鳳的な美しさを示すところに優れたものがあり、これを飛鳥のものと見ることは、この像の本質的な美しさを解しないものというべきであろう。見よその差し伸ばされた手指のあやしいまでの美しさを、それは単なる外来形式の模倣によって生まれたものではなく、高まりゆく白鳳の抒情性の発露に外ならない。
 次は夢殿の救世観音像である。この像は聖徳太子の宮址にある夢殿の本尊であり、また長…

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