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二つの絵
ふたつのえ
副題芥川竜之介の回想
あくたがわりゅうのすけのかいそう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「二つの絵 芥川龍之介の囘想」 中央公論社
1956(昭和31)年1月30日
初出二つの繪「中央公論」1932(昭和7)年12月号、1933(昭和8)年1月号
入力者富田晶子
校正者雪森
公開 / 更新2017-07-24 / 2017-07-17
長さの目安約 215 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

龍之介先生




 龍之介先生の顏――岡本一平が畫いた似顏は、首相加藤友三郎とちやんぽんだ。

 小説の事はいはずもがな、支那で六圓に買つてきた古着を、坪何兩といふ品と泉鏡花に思込ませた人だ。(坪トハ錦繍、古渡リ更紗ナドニ、一尺四方、又ハ一寸四方ナルヲイフ)

 不思議によく猿股を裏がへしに着けてゐる。

 顏を寫す時、西洋の文人、自分の一家一族の人の寫眞に至るまでどつさりみせて、やつぱり立派に畫いて呉れと言つた。

 常常、君、女子と小人はなるたけ遠ざける方がいいよ、と言つてゐる。
 又、僕かあ、君、いつなんどきどういふ羽目で妻子を拾てないともかぎらないが、やつぱり仕舞にやしつぽを卷いて、すごすごおれが惡るかつたから勘辨して呉れつて女房のところに、しつぽをふつて歸つてくるなあ、と高言してゐる。

 知らないうちに、横山大觀に自分の弟子になれと口説かれてゐた。

 君、僕かあ十六歳の頃まで燐寸をする事が出來なかつたものだから、僕の方の中學は三年から發火演習があつて鐵砲を擔がせるんだぜ、(その時は弱つたらうな、)否、僕かあ何時も小隊長だつたから洋刀を持つてゐたんだが、大體僕は利口だからそれとなく何時も部下に火をつけさせてゐたんだよ。

 右足脱疽で私が二度目に踝から切られる時の立會人――骨を挽切る音の綺麗さや、たくさんの血管を抑へたつららの樣に垂れたピンセットが一つ落ちて音をたてた事や、その血管が内に這入つて如何なつたか心配だつた事を、みんな話してくれた人だ。
[#改ページ]

わたりがは




 昭和二年の改造八月號、日本周遊二十八頁の上の六行目、
羽越線の汽車――改造社の宣傳班と別る。……
あはれ、あはれ、旅びとは、
いつかはこころやすらはん。
桓根を見れば「山吹や笠にさすべき枝のなり」
 彼の旅行記、東北、北海道、新潟は、改造社に入用なものであつたらうが、(改造社版現代文學全集の宣傳を兼ねた講演旅行――所謂圓本のはじめ)彼にとつても、既に大正十一年五月の作であるところの、あはれ、あはれ、旅びとは、を、さしはさんだ旅行記が一つ必要であつたと思はれる。
 東北、北海道、新潟の講演旅行で、一挺のぴすとるが彼の手にはいつてゐたのであらうか、彼は旅行から歸つて僕に會ふなり、「僕はこんどはいよいよぴすとるも手にいれた、」と言つてゐた。

「自分の死後どんなことがあつても發表はしてくれるな」と言つて、鵠沼で前年の冬、僕に預けたもののなかから、彼は三つ死ぬまでにひきだした。あはれ、あはれ、はその一つ。手帳八月號の風琴もまたその一つ、それに「なぜ?」を僕は二年の一月三十日に渡してゐる。

 ――夕方僕の宿で、僕の祖父の遺愛の詠歌自在の詞の栞から、僕等は二人がかりで詞を拾つてゐた。
「あはれ、あはれ、旅びとのこころはいつかやすらはん……ねえ君、何か詞をさがしてくれなきや…

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