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石の信仰とさえの神と
いしのかみとさえのかみと
作品ID58168
著者折口 信夫
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆88 石」 作品社
1990(平成2)年2月25日
入力者岡村和彦
校正者noriko saito
公開 / 更新2017-09-03 / 2017-08-25
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 道祖神の話は、どうしても石の信仰の解決をつけておかぬと、その本当の姿はわからぬ。柳田先生の『石神問答』は、道祖神を中心にしての研究であったが、そのために、いろいろな石の神体のことを問題にせられた。筑前にある神籠石は、神道では、「いはさか」だと言われているが、石が敷き並べてあるばかりでなく、岩石のもある。「こうご」は、かっぱのことでもある。先生はあらゆる石の信仰を問題にせられたが、もういっぺん、そのいろいろの石の信仰を考えぬと、道祖神はわかってこない。ある場合には道祖神そのものが、石の神かと思えるほどである。それをはっきりさせねばならない。
 日本では、石の神はいろいろあるが、石が海岸に漂着するという信仰が古くからあった。常陸の大洗磯前神社の「かみがたいし」(神像石)など、一夜のうちに忽焉と、暴風雨の後に現われた、と歴史の書物にも書いてある。この神像石はあちこちにあった。常はなんとも思うておらぬから注意にあがらぬが、暴風雨の後などには、もとからあったものとも知らず、漂うてきたものだと思うことがある。この石の漂着するのを、寄り石(漂着石)信仰とわれわれは言うている。
 日本では、もう一つ、石の成長する信仰がある。壱岐国の渡良島では、石を拾ってきて、祀っておいたら、だんだん大きくなったという話がある。これは、石漂着の信仰と、石成長の信仰と、二つのものが重なって、一つになったのである。石が寄ってくるということは何か。石でなくても、遠いところから、この土地へ漂うてきた、と信じられるものなら何でもよい。神なら神が、舟に乗ってこられたことになるが、もっと抽象的、神秘的な威力のある霊魂が、その土地にやってきた話となる。
「たま」は、むきだしで来たとも考えるし、また、物の中にはいって、来たとも考えているが、どちらが元というのでなく、知れる限りにおいては、両方とも平行してある。まず、普通の形では、霊魂がそのままやってくると考えるのがわかりやすいと思うが、やはり、物にはいってくるか、あるいは、こちらの物にはいっていることがあるのである。霊魂のはいっているものを、やはり、たまと言う。古い時代のもので、たまが海岸へ寄せる話では、石のことや貝のことや、いろいろある。たまが漂着してきて、たま(玉、珠)に憑くと考えたのである。すると、古い歌に、海辺で「玉や拾はむ」というようなのがたくさんあるが、わりあい素直に釈けるわけである。誰かがその物の中に霊魂があると信じると、その物は玉ということになる。自分を守る霊魂がはいっていると信ずるものを、身体につけているものは、やはり、たまである。そうして、たまの多くは、石であった。
 この石のなかで、もっと著しい話は、石が子を生む話である。これも、柳田先生はいろいろ書いておられるが、石は大きくなったり、また、分裂したりする。石が分裂することは、霊魂は分割…

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