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本邦肖像彫刻技法の推移
ほんぽうしょうぞうちょうこくぎほうのすいい
作品ID58314
著者高村 光太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「仏教の名随筆 2」 国書刊行会
2006(平成18)年7月10日
初出「道統 第四巻第十号」1941(昭和16)年11月1日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2018-03-13 / 2018-02-25
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 わが国古来の彫刻といえば殆ど皆仏像である。記紀上代の神々の豊富な物語はまるで彫刻の対象とならなかった。藤原期に及んで神像というものが相当に作られたが遂に大勢を成すに至らなかった。(大黒天は大己貴命だと世上でいうのは俗説である。)この点、オリムポスの神々がギリシヤ彫刻に豊饒な人間的資材を提供していた西欧の事情とは大に違う。仏像は仏典によって指示せられた超人間的霊体の顕現であるから、その第一の条件として人間臭さから超脱していなければならぬ。性の観念を断絶した中性としてすべて扱われた。インドに於いては大自在天は男性の中の男性で、その精舎の中には常に天根を祀っていたほどであるが、支那を経て日本に渡来した仏教、日本民族によって敬虔に受け入れられた仏教には既にそういう観念がきれいに浄められていて、日本独自の清浄性が逆に仏教をもその清らかな面に於いてのみ許したのである。インドに於いては釈迦は一個の人格でもあったのであるが、日本に於いては釈迦牟尼は絶対に仏であって人格ではなかった。ましてその教義の中にあらわれる諸仏諸菩薩諸天の類は、人間の形態を仮りてこそ居れ、悉く或る抽象観念の具現に外ならなかった。その着衣服飾の如きも皆異国の風俗であって、日本人日常の触目とはまるでかけ離れて居り、ますますその超人間的様相をあつくした。四天王や十二神将のようなものでも、インドあたりならば、どこかで見た事もあるような甲冑を着ているわけであるが、日本ではただ何処か知らない霊界に於ける仏教護勇の役に任ずる大力の理想的荘厳としてしか観られなかった。螺髪はもともと熱帯地方のあのちぢれ毛の写実から起った彫刻的様式であったに違いないが、日本ではそういう意味を全部喪失して、ただ希有珍重な不思議としてのみあがめられた。インドに於いては今日でも眉間に宝玉を入れている女性を見かける。日本人の観る仏像の白毫はただ白毫光の象徴として存在するのである。
 日本古来の彫刻はただ仏門のためにのみあった観がある。彫刻の技法がもともと仏教に随伴して輸入され、彫刻家とは即ち僧侶であり、或は僧門の人であり、後世専門的彫刻家が輩出するようになっても皆所謂大仏師であって、定朝以来皆法印、法眼、法橋のような僧綱を持していた。明治維新の頃までもそれは行われていたのである。日本の彫刻家は仏閣の関係無しには意味を持たなかった。この豊富な天然自然に囲まれて居ながら、どうしてその造型本能が生物としての人間動物の類に解放せられなかったか。古代以来の風俗すら長い間彫刻家の眼からは見はなされていた。徳川時代になって風俗人物が作られるようになってもそれは純粋な彫刻としてよりも人形としてであった。それはもとより大仏師の手に成るものではなくて巷間の人形師の作るものであった。日本古代の仏像造顕の絶大な勢力が日本彫刻の性質を千数百年に亙って決定した。芸術上の形…

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