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私の思い出
わたしのおもいで
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「柳原白蓮エッセイ集 ことたま」 河出書房新社
2015(平成27)年11月30日
初出「ことたま」日本出版広告社、1954(昭和29)年8月
入力者雪森
校正者富田晶子
公開 / 更新2018-01-01 / 2018-01-01
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 歴史は繰り返すと申しますが、つくづくと考えてみますと、私の生まれる少し前と現代とが、不思議なほどよく似ていると思うのです。徳川三〇〇年の幕府が倒れて多くの大名が、それぞれ国境を撤廃してめいめいが持っていた侍すなわち、軍隊をやめ、両刀をなくしたことはつまり軍備をすててしまって日本という一つの国に統一しました。これで国内の平和は完全なものとなりました。
 それからというもの、日本はまったく旭日昇天の勢いでした。その希望にみちみちた、明治は一八年に私は生まれました。
 私の父は何代となく宮廷に仕えた公卿の家で、明治維新のためにもいくらかの功労者でありましたから相当の役にもついていましたし父の妹は、官名を早蕨典侍とよばれて、明治天皇の側近に仕えていました。だから私の若い日ことに少女の日の思い出というものはかなり現代離れのしたものでした。
 家庭にしては、父は公卿の出、母は大名の出でしたから、何かにつけて父と母との間にも、思想のちがいがあったようでした。召使っている女中たちの中にも公卿風、これを堂上方といっていました。それと大名の武家風とが互いにはっきりと言葉の先にも区別させていました。
 公卿の方は元が京都の出ですから京都風、つまり御所言葉になるわけ、京都といっても民間のそれとは大部違っていました。たとえばあなた、というところは目上の人なら誰でも、ごぜん、と呼ぶのです。私はまだ子供でしたけどこの少女をつかっても、年をとった女中はごぜんと言いました。
 普通東京ではその頃の高位高官といった人々を料理屋のおかみなんかはごぜんといったようでした。世に時めく新華族の主人公などは新派の芝居を見てもそんなふうにいってるのをきいたことがありました。
 それが母の里方の関係の人々はお前様、というのです。よくお芝居なんかで「御意遊ばしませ」というのがありますが、私の子供の頃ききなれた御意遊ばせはあまり口達者に発音するせいかゲエときこえるのです。「まあおまえさまのゲエ遊ばしますこと」っていったふうに。
 少女の頃に見たあの御所の中のお局にゆくお廊下の長かったこと、いくつもいくつも曲がったり折れたり五〜六段の段を下ったり上ったり向こうから来る人が自分が下だとなると廊下に片よって座って平伏してしまって私どもが通ってしまうまで頭も上げません。あの中の言葉はまた何とした古風なものでしたろう。お廊下のことをおめんどうといい、草履のことをおこんごうといってる。『源氏物語』をそのまま地でいってるような生活の中でも結構憎まれ口や人に大っぴらで聞かせられないような大口たたくのにも何不自由なく優美に風流にやってのけるのですから、どんなところにも言葉というものは不自由はないものです。
 私の父は私が一〇歳の時病死いたしました。その前に父の弟資秀が、分家の養家先を出てしまったのでした。その不義理の埋め合わせ…

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