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デモクラシーのいろいろ
デモクラシーのいろいろ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「文藝春秋 昭和二十三年十月號」 文藝春秋新社
1948(昭和23)年10月1日
初出「文藝春秋 昭和二十三年十月號」文藝春秋新社、1948(昭和23)年10月1日
入力者sogo
校正者富田晶子
公開 / 更新2018-01-01 / 2018-01-01
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 同じ言葉でデモクラシーといつても、いろいろの型があつて、どうも一樣ではないやうだ。それも、古代ギリシヤなどは問題の外におくとして、同じ時代で、國の境を接してゐても、それぞれ癖がちがふ。
 やかましい詮索は專門家の仕事に任せて、こゝでは素通りの旅行者の眼に映つたスケッチ・ブックを開いてみるだけだが、デモクラシーの家元がイギリスであることにはまず誰も異存はあるまい。そのイギリスのデモクラシーの基礎が「討論」だといふことは、これも多くの人が認めてゐるところだ。「討論」といふと、だいぶ八釜しく聞えるが、イギリス人やアメリカ人が、「一つその話は明日ゆつくりディスカスしませう」といふときのディスカッション(討論)といふことは、あまり肩の張つた討論ではなく、全く「話し合ひ」といふ意味である。だから、「デモクラシーは討論である」といふイギリスの討論も、そのほんとの性質は「話し合ひ」に近い。日本で近頃流行の「討論」をラヂオや何かで聞いてゐると、それは文字通り「討し」合ひであり、討ち合ひである。相手の議論を眞向から叩きつける。相手の議論に勝つことが主眼で、ちやうど劍道の仕合か、野球の仕合のやうなもので、學生對校討論會にいたると、全國高校野球戰と同樣、勝拔きで最後に優勝校といふのが出てくる。討論の結果として何か役に立つ結論を出してくるといふやうなことは、とんと考へられてゐない。イギリスのディスカッションは、どうもさういふのではないやうだ。
 イギリス下院の討議を見てゐても、二間ほどの長さの机をへだてゝ、野黨の辯士と大臣は向き合ひになつてゐて、ひどく大聲を張り上げなくとも、お互に話しかけるやうな調子でやれる。もつとも、イギリス紳士の惡いくせで、相手が話してゐる間、アトリーでもクリップスでも、腕ぐみして足をのばし靴は机のかどにどつかともたせかけて裏を相手に見せてゐる始末だが、これは男の癖でたいした無禮といふのではなく、たゞくつろいでゐるといえば大いにくつろいで聞いてゐることにならう。勞働者の集りでも、學生の集會でも、お互に話をはじめると、すぐに誰かゞ議長格になつて、この話をまとめてゆく。話し合ひだから、何か結論が出なくてはならん。その結論をまとめるために議長が出來るのであつて、それが極めて自然にゆく。國民のあらゆる方面がかういふ風に、クラブでの話し合ひ式にやつてゆく。かういふ一つ一つが、いつてみればデモクラシー政治の細胞で、この細胞が積み重なつていつて、一ばん大きな形になつたものが議會で、それが國の政治をやはり話し合ひ形式で進めてゆく。
 そこで私は、かりにこのイギリス人のゆきかたを「話し合ふデモクラシー」といつておかう。


 海をへだてたフランスはどうだらうか。ここでは、イギリスとはもうだいぶ行き方がちがふやうである。
 現代市民社會の曉鐘を打ち出した大革命をもつフランスである…

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