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放心教授
ほうしんきょうじゅ
作品ID58926
著者森 於菟
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻44 記憶」 作品社
1994(平成6)年10月25日
初出「屍室斷想」時潮社、1935(昭和10)年3月9日
入力者大久保ゆう
校正者富田晶子
公開 / 更新2018-01-01 / 2018-01-01
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「先達ては老生の面倒なる御願に対し早速御調査詳細の御回答下され難有存候。然る所貴文中○○大学教授○○○○氏現存の如く御認め有之候も同博士は××大学教授にしてたしかに昨年中物故せられ居候。賢弟も愈々完全なる Zerstreuter Professor になられたるものと感服仕候。呵々。」これは永年ドイツに滞在している親戚のH教授から私への書信の一節である。Zerstreuter Professor は訳すればボンヤリ教授で、ドイツでも昔から教授先生というものは世故にうといぼけ者と相場をきめ、アメリカ人を成り金、アイルランド人を吝ん坊とするように、よく漫画雑誌などの材料にせられたものである。例えば雨の日に蝙蝠傘の代りにステッキを差して歩いたり茹で卵をつくるつもりで懐中時計を湯の中に投りこみ卵を手にして見つめている類である。しかしかくのごとき放心家は現代の教授たる資格がないものでいわゆる眼から鼻へぬける底の明徹なる人物でなければならないとみえ、ドイツでも近来教授は一口噺の材料にはならない、将来学者たらんとするものは決して放心なるべからず、というのは実は先頃明朗冷徹を以て著名な某教授の隠退記念会の席上ある先生の話されたことであるが、実にごもっとも至極の次第、私も絶対賛成で、ここに放心教授伝を記して後進の戒めとする所以である。
 実は題して放心教授列伝としたいが見渡したところ私の周囲には私に比肩し得る放心家はない。そこで一家の伝を以て満足せざるを得ないのである。蝙蝠傘を一月に一本、万年筆を二月に一本の割で紛失するなぞは誇るに足らない。蝙蝠傘の紛失記は別の雑誌に書いたことがあるが、警視庁の遺失品係を見学した時、これが一つの尨大なる倉庫をうずめているのを見て私の同輩が天下に普く充満しているのを知って意を強くした。一年間に警視庁管内における蝙蝠傘の紛失は二万を突破するそうで、電車の五、六台はそのまま楽に入ると思われる大倉庫の周囲の壁はもちろん、中には数十段を積み重ねた棚がいっぱいにならんでその間はわずかに人が体を横にして通りうるほどの隙間しかない。そしてすべての棚の各段に一本一本日附けと場所とを記した紙片を柄にくくりつけた無数の傘が並んでいる。この古着屋のごとく空家のごときかびの臭いが充ちている薄暗い室の隅々にはなお整理しきらぬ無数の傘が塵埃にまみれて山と積み重ねられている。なおこの中には少数のステッキ雨傘もあるが大部分は蝙蝠傘で中には将校の佩剣もあった。これは遺失物中でも別室にある遺骨壺や柱時計と共に珍物とすべきである。なお図書室の一隅に新刊雑誌の棚があるごとくここでは新着の傘はひとまとめにしてある。係りの人の話では朝から雨がふって昼から晴れた日の午後には百本内外は必ずここに運びこまれるという。また一年とめ置いて払い下げるがあまり多くなって整理に困るし一年倉庫に置くと布地…

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