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本因坊秀哉
ほんいんぼうしゅうさい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻11 囲碁Ⅱ」 作品社
1992(平成4)年1月25日
初出「囲碁世界」1950(昭和25)年1月号
入力者大久保ゆう
校正者富田晶子
公開 / 更新2018-01-01 / 2018-01-01
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 本因坊名人秀哉がまだ元気でいられたころだから昭和十年前後のこと。碁界では、現在の名人とその一時代前の名人……本因坊秀甫、秀栄とはたしてどちらが強いのだろうか問題にした……ぼくたちも、それを話題にし、人からも訊かれた。このような話は比較しようのないことなのだから、具体的にはつきりした答えが出ようはずはない。ただ田村保寿と呼ばれた昔から、先生の秀栄には一目を置いて来ているので、多くの棋士たちは、秀栄名人の名人芸を高く評価して、秀哉名人を低く見る傾きはあつたようだ。
 ところで、いまぼくたちの感じでは、秀哉名人は近世の名人たちの間でもやはり一つの大きな山であつたようだ。その峯の高さを秀甫、秀栄の峯の高さと比べることはやはり出来ないとしても、野沢竹朝八段が、天下の芋掘り碁と批評したのは、あたつていないのではあるまいか。竹朝は秀栄に学んで秀栄の碁風を骨の髄までたたきこんでいるために、力戦に特色を持つ秀哉の芸風が気にいらなかつたのであろう。秀栄は碁を打つ時間も早く、ことに有名な話として伝えられているように……秀栄名人と対局するといつでも、次に打つ手が二ついい所があつて、その一方を打てば秀栄名人にほかの一方を打たれる……というように、こちらは一生懸命考えて石を下しても、名人の方はちやんとほかの好点を占めて、いささかも、渋滞することがない。流れる水のようにさらさらと打ち進んで、しかも、碁は非常に広くなつている……これは秀栄の名人芸として有名な話なのだが……秀哉はそれに反して、対局時間は永く、打つ手を、一手一手読み切らないと打てない棋風のようだつた。しかも中盤の力闘には、古今に比べもののない激しさを持つている。強いて例をあげれば文化文政年間の名人本因坊文和があるけれど、秀哉名人が明治から大正、昭和にかけて戦つたたくさんの争い碁を調べてみても、その特色ははつきりしている。たとえば元棋正社の総帥雁金準一との有名な対局も、布石からいきなり激しい攻合いが初まつて、そのまま終局になつた。いま、並べ返してみるとさながら大石を山の頂きから追い落すどうどうたる響きを耳にする思いがある。
 また、呉清源との天元の一局にしても、あの激しさは、ちよつと近世の囲碁史に類がないものである。あの碁は、実際に打たれた対局の棋譜のおもしろさもあるが、対局の裏のいろいろなエピソードがぼくたちを楽しませた。決定的な勝をもたらした運命の一手について、本因坊門下の前田七段が発見したのが真相であるとか。その一手を呉清源は気がつかないでいて、黒の勝を信じていたのに、あの運命の一手が打たれる日の朝、あの妙手があるのを発見し、必敗を覚悟していたとか。瀬越門下の呉清源同門の人たちは、橋本宇太郎、井上一郎たちが先生の瀬越憲作を中心にして、呉清源の勝を読んで研究していたが、あの運命の妙手をやはり同じころにみつけ出して、「我やん…

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