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秋艸道人の書について
しゅうそうどうじんのしょについて
作品ID58936
著者吉野 秀雄
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆64 書」 作品社
1988(昭和63)年2月25日
初出「淡交」淡交社、1961(昭和36)年8月号
入力者大久保ゆう
校正者富田晶子
公開 / 更新2018-01-01 / 2018-01-01
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 秋艸道人会津八一博士の処女歌集『南京新唱』をはじめてわたしの読んだのは、大正十四年春のことだつたが、集中に見えた二首の難解歌がどうにも気にかかるので、発行元の春陽堂へ問ひ合せて道人の住所を知り、その件をおそるおそる質問に及んだのが、翌十五年の四月、そして道人からすぐに懇切な返事を与へられ、間もなく百万塔の図に「あをによしならやまこえてさかるともゆめにしみえこわかくさのやま」の一首を題した茶掛けを贈られたが、これらが道人の肉筆を見た最初であつたやうだ。
 右の手紙といふのは、一枚漉きの、いはゆるキラズと呼ぶ和紙数枚にしたためた行書であつたが、その見事さは、いきなり若いわたしの心を打ち、わたしは数金を投じてただちにこれを額に仕立てずにはゐられなかつた。三十五年後のいまも、わが家の一室にかかつてゐるし、道人の目にもいくたびか触れたものである。
 ――わたしはどうしたわけか、少年の時から書が異常に好きで、当時なにを見ても気に入らぬがちの生意気ざかりであつたが、道人の書を一覧するや、なるほど世にはかういふ書もあるのかとおどろいた。わたしはみづからも歌を詠む者の一人として、道人の歌集を尊敬し、やがて押しかけ門人になつたくらゐだが、書においても急速に傾倒の度を加へ、道人の書といへば、小包郵便の宛書きや小札の類までも、ていねいに保存するやうになつてゐた。
 道人の書は、いつたいどんなふうにいいのだらうか。どんなわけで、わたしがむやみに魅惑されるのだらうか。――かう自問を起しておいて、さて自答を考へてみれば、あらましつぎのやうなことになるらしい。
 (一) 道人の書には端的率直な明快さがある。晦渋曖昧な陰鬱さの正反対で、男性的に朗々としてゐるし、形骸的な固さでない、みづみづとした印象に富んでゐる。
 (二) 道人の書では、いつも縦横の直線と曲線とが均等に配分されてゐる。これは(一)の明瞭性とも関係の深いことがらだが、また黒白二色の迫り合ひをして、快適な緊張感をかもしださせる根源をなしてゐる。それも一字一字がひきしまつてゐるといふよりも、全体として堂々とうねつたやうなリズムを覚える。一幅、一面の作として、全体の余白がこんなにも生動してゐる書はめづらしいのではあるまいか。
 (三) 道人の書はだれだれの流といふことをほとんど感じさせない。むろん和様には遠く唐様の分子がまさつてゐて、明末清初あたりの某々の書に、いくらか似たのがないでもないが、それにしても小味な個性とはちがつて、茫漠とした気宇が横溢してゐる。
 (四) 道人の書は、作品にあつては、漢字は漢字、仮名は仮名にかきわけられてゐるが、ただし、両者をまつたく同じ態度でかき、毫末も区別をつけてゐない。それだから漢字・仮名まじり文の手簡の書が、じつにうつくしい調和を見せることを結果してゐる。
 (五) 道人の書は、どんな場合にも…

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