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母の死
ははのし
作品ID59003
著者中 勘助
文字遣い新字新仮名
底本 「中勘助随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年6月17日
初出「思想 一五一」1934年(昭和9)年12月
入力者呑天
校正者小山優子
公開 / 更新2018-05-22 / 2018-04-26
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

これらの断片は昭和九年九月の初旬母が重態に陥ったときから十月の初旬その最後のときまでのあいだに書かれたものである。

 断片。この愛別離苦のうちから私が人人におくる贈り物は「律法を妄りに人情の自然のうえにおくな」という忠告である。私どもは世の親と子があるように、はたあるべきようにお互に心から愛しあっていながら、すくなくとも私のほうではよくそれを承知していながら真にうち解けて馴れ親しむことができず、いつも一枚のガラスを隔てて眺めてるような趣があった、そこには律法のほかに別にまたいろいろ錯雑した理由、原因もあっただろうけれども。
 今夜私は連日のみとりに疲れた人たちを休ませ、看護婦さんとふたりで夜どおし母のそばについていた。きのうの脈搏不整からきょうの結滞。浮腫、チアノーゼ。力弱く数の少い呼吸が見てるうちにときどきとまる。看護婦さんが軽く胸をたたく。と、息を吹きかえす。母は麻酔剤のために些の苦痛もなく眠りつづけてはいるが、それは母という特殊の意味で親しい肉体を戦場としての生と死との最後の戦いであり、力つきた生が今しも打ち倒されようとする瀬戸際である。その音もなく形もない凄じい戦いを極度に澄明な、静寂な、胸に充満しながらどこまでもひろがってゆくような感慨をもって凝然と、また茫然と眺めつくしている。そのうち看護婦さんがなにかの用で台所のほうへ立っていったあとに私はとんだ悪いことでもするようにそっとひとつ母の額に口つけた、私にとっても母にとっても生れて最初の、そしておそらくは最後となるであろうところの愛の表示! すべて体の使用されない部分が萎縮し退化するといわれるとおり、私の愛の表示もその肝心な幼若の時期において不自然な束縛と禁遏をうけたがために奇怪にも特に父母のまえに萎縮し退化してしまった。で、母に対する私の愛もいわば内攻して、その表示も間接的であった。そうして母が独りになり、年をとり、淋しくなって私にもっと直接な、もっと明瞭な、もっと熱情的な愛の表示を求めるようになったときには幾十年の宿痾はすでに膏肓に入ってもはや如何ともすることができなかった。十年もまえのことだったろうか、夏、母と二人きりでこちらの留守番をしてたときに母は私に訴えるようにいった。
「このせつは話し相手もないし私はそりゃ淋しいもんよ」
 私は胸いっぱいになりながらしかも眉毛一本も動かさない無表情で答えた。
「私も淋しいんですよ」
 これが余人に対しては全く自由な、あまりに自由な、しばしば粗野、非礼にさえわたるほどの愛の表示をする私である。

 断片。昨夜は重態のままどうにか越した。朝、私が茶の間から行って病室の障子をあけたら□□さんが坐っていた。おお 私はそんなことをいってなにか挨拶をしたらしい。姉が知らせたので長野から夜行で今著いたところだった。
「折角いいものを送って下すったのに……」
 そう…

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