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長塚節句集
ながつかたかしくしゅう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「長塚節名作選 三」 春陽堂書店
1987(昭和62)年8月20日
入力者町野修三
校正者浜野智
公開 / 更新1999-05-19 / 2015-07-03
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

俳句



白菜や間引き/\て暮るゝ秋

七年の約を果すや暮の秋

散りぬべき卿の秋の毛虫かな

花煙草葉を掻く人のあからさま

藁灰に莚掛けたり秋の雨

豆引いて莠はのこる秋の風

わかさぎの霞が浦や秋の風

佐渡について母への状や秋の風

蓼の穗に四五日降つて秋の水

此村に高音の目白捉へけり

鳴きもせで百舌鳥の尾動く梢かな

柿くふや安達が原の百姓家

柿赤き梢を蛇のわたりけり

芝栗や落ちたるを拾ひ枝を折る

錐栗やこゝに二つを珍らしむ

芭蕉ある寺に一樹の柚子黄なり

一うねは桐の木蔭の黄菊かな

わせ刈つて鷸の伏す田となりにけり

狼把草の花さく頃や稻日和

掛稻の下や茶の木の花白し

飛彈人の木を流す谷の紅葉かな

蟲ばみし櫻なりしが紅葉かな

松間や朗かにして櫨紅葉

胡麻干すや實勝になり木芙蓉

茸狩や櫨の紅葉に來鳴く鳥

足もとに光る茸や夜山越え

木瓜の子や葉は皆落ちて秋の霜

稻を扱く藁の亂や赤蜻蛉

南禪寺所見

亂れ伏す小萩がしたや鉋屑

霞が浦

白帆遙にわかさぎ船や蘆の花

格堂除隊

營を出てさやかに秋の瀬戸の海

秋水は聾せり

我喚ぶを後も向かず秋の人

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長塚節略年譜


一八七九(明治十二)年 四月三日、茨城県結城郡岡田村国生(現石下町国生)の豪農の家に父源次郎、母たかの長男として生まれる。
一八八三(明治十六)年 四月、学齢未満であったが、国生小学校に入学。
一八八九(明治二十二)年 四月、下妻町の真壁第二高等小学校に入学。
一八九三(明治二十六)年 四月、茨城県立水戸中学校に入学。
一八九六(明治二十九)年 春、神経衰弱のために水戸中学校を四年で退学。この頃から、作歌に親しむようになる。
一八九八(明治三十一)年 正岡子規の「歌よみに与うる書」(新聞「日本」に二月〜五月連載)などを読み、子規に傾倒。六月、東京築地の山田病院に入院し、神経衰弱の治療を受ける。
一八九九(明治三十二)年 東京神田錦町の橋田病院に転院。五月頃に徴兵検査のために帰郷するが、不合格。「新小説」に短歌を投稿し、度々入選。
一九〇〇(明治三十三)年 三月二八日、根岸庵に子規を訪問。翌々日再訪し、「根岸庵」の十首を作る(「日本」に掲載)。四月一日、根岸庵歌会に出席し、生涯の盟友となる伊藤左千夫らを知る。
一九〇二(明治三十五)年 四月から「うみ苧集」を「心の花」に連載。五月、「日本」に「ゆく春」九首が掲載。九月十九日、子規逝去。翌日、上京する。
一九〇三(明治三十六)年 六月、「馬酔木」創刊。左千夫らとともに編集に加わる。夏に関西を旅し、一一月「西遊歌」を「馬酔木」に発表。
一九〇四(明治三十七)年 四月、「榛の木の花」を「馬酔木」に発表。五…

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