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嘘
うそ |
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作品ID | 639 |
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著者 | 新美 南吉 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「牛をつないだ椿の木」 角川文庫、角川書店 1968(昭和43)年2月20日 |
初出 | 「新潮」1946(昭和21)年2月 |
入力者 | もりみつじゅんじ |
校正者 | ゆうこ |
公開 / 更新 | 2000-01-27 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 29 ページ(500字/頁で計算) |
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一
久助君はおたふくかぜにかかって、五日間学校を休んだ。
六日めの朝、みんなに顔を見られるのははずかしいなと思いながら、学校にいくと、もう授業がはじまっていた。
教室では、案のじょう、みんながさあっとふりむいて久助君の方を見たので、久助君はあがってしまって、先生のところへ欠席届を出し、じぶんの席へ帰るまでに、つくえのわきにかけてある友だちのぼうしを、三つばかりはらい落としてしまった。さて、じぶんの席について読本をひらいた。
となりの加市君が、いま習っているのは十課だということを指でさして教えてくれた。もう十課まで進んだのか。久助君は、八課の「雨の養老」を習っていたとき、なんとなく左のほおが重いのに気がつき、その日から休んだのだった。
じぶんが休んで家でねていたときに、みんなは八課ののこりと九課を習ったんだなと思うと、久助君は、今ここにみんなといっしょに読本をひらいて、先生のお話を聞いていながら、みんなの気持ちとなじめないものを感じた。
そのとき、先生から指でさされて、前のほうのだれかが読本の朗読をはじめた。
「第十、稲むらの火。これは、ただごとでないと、つぶやきながら、五兵衛は家からきた……」
おや、へんだなと、久助君は思った。聞きなれない声だ。あんな声で読むのは、いったいだれだろう。そこで久助君は、本から顔をあげてみると、南のまどのそばの席で、ひとりの色の白い、セル地の美しい洋服をきた少年が、久助君の方に横顔を見せて朗読していた。久助君の知らない少年だ。
久助君はその少年の横顔を見ているうちに、きみょうな錯覚にとらわれはじめた。じぶんは、まちがってよその学校へきてしまったのではないかと、思ったのである。いや、たしかに、これは久助君の通っていた岩滑の学校の五年の教室ではない。いま読んでいる少年を、久助君は知らないのだ。そういえば先生も、なるほど久助君の受け持ちだった山口先生ににてはいるが、別人であるらしい。友だちのひとりひとりも、久助君のよく知っている岩滑の友だちとどこかにてはいるが、どうも知らない学校の知らない生徒たちだ。五日間休んで、じぶんの学校を忘れてしまい、よその学校へはいってきたのだ。これはとんでもないことをしてのけた。久助君は、そんなふうに思ったのだった。そしてすぐつぎのせつなに、やはりこれは久助君のもとの学校であるということがわかって、久助君はほっとした。
休けい時間がきたとき久助君は、森医院の徳一君にきいた。
「あれ、だれでェ」
南のまどぎわの色の白い少年は、まだ友だちができないのか、ひとりで鉛筆をけずっていた。
「あれかァ」
と、徳一君はこたえていった。「あれは、太郎左衛門て名だよ。横浜からきたァだげな」
「太郎左衛門?」
久助君はわらいだした。「年よりみたいだな」
徳一君の話によると、その転入生のほ…