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仮名遣意見
かなづかいいけん
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「筑摩全集類聚 森鴎外全集 第7巻」 筑摩書房
1971(昭和46)年8月5日
初出「臨時假名遣調査委員會議事速記録」1909(明治42)年1月
入力者山田豊
校正者高橋真也
公開 / 更新1999-07-23 / 2014-09-17
長さの目安約 40 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は御覽の通り委員の中で一人軍服を着して居ります。で此席へは個人として出て居りまするけれども、陸軍省の方の意見も聽取つて參つて居りますから、或場合には其事を添へて申さうと思ひます。最初に假名遣と云ふものはどんなものだと私は思つて居るか、それから假名遣にはどんな歴史があるかと云ふことに就て少し申したいのであります。既に今日まで大槻博士、藤岡君等のやうな老先生、それから專門家の芳賀博士等が斯う云ふ問題に就いては十分御述べになつてありますから、大抵盡きて居ります。それから當局の方でも又調査の初めから此事に關係して居られる渡部君の如きは詳しい説明を致されました。其外達識なる矢野君の如き方の議論もありました。又自分の後に通告になつて居ります中には伊澤君のやうな經驗のある人もあります。又其の他諸先生が居られる。然るに私が斯んな問題に就いて此處で述べると云ふのは誠に無謀であつて甚だ烏許がましいやうに自分でも思ひます。併し私は少し今まで聽いたところと觀察が違ひますので、物の見やうが違つて居りますので、それを述べて置かぬと云ふと、後に意見が述べにくいのであります。それゆゑ已むことを得ず申します。
 一體假名遣と云ふ詞は定家假名遣などと云ふときから始まつたのでありませうか。そこで此物を指して自分は單に假名遣と云ひたい。さうして單に假名遣と云ふのは諸君の方で言はれる歴史的の假名遣即ち古學者の假名遣を指すのであります。而も其の假名遣と云ふ者を私は外國の Orthographie と全く同一な性質のものと認定して居ります。芳賀博士の奇警なる御演説によると外國の者とは違ふと云ふことでございましたが、此點に於ては少し私は別な意見を持つて居ります。主もに違ふと云ふことの論據になつて居りまするのは外國の Orthographie は廣く人民の用ゐるものである、我邦の假名遣は少數者の用ゐるものであると云ふことであります。併しさう云ふやうに假名遣が廣く行はれて居らぬと行はれて居るとの別と云ふものは、或は其の國の教育の普及の程度にも關係します。又教育の方向、どう云ふ向きに教育が向いて居るかと云ふことにも關係しますのであります。元來物の性質から言つて見れば外國の Orthographie と我が假名遣とは同一なものである、同一に考へて差支ないやうに信じます。一體假名遣を歴史的と稱するのは或る宣告を假名遣に與へるやうなものであつて私は好まない。一體假名遣を觀るには凡そ三つの方面から觀察することが出來ようと思ひます。即ち一は歴史的の方面である。一は發音的即ち Phonetik の方面である。其の外にまだ語原的即ち Etymologie から觀ると云ふ見方がございますけれども、是れは先づ歴史的と或る關係を有つて居るやうに思ひます。一國の言葉が初め口語であつたのが、文語になる時に、此の日本の假名のやうに音…

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