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栗山大膳
くりやまだいぜん
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「森鴎外全集第4巻」 筑摩書房
1959(昭和34)年5月30日
初出「太陽」1914(大正3)年9月
入力者山田豊
校正者伊藤時也
公開 / 更新1999-11-27 / 2014-09-17
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 寛永九年六月十五日に、筑前國福岡の城主黒田右衞門佐忠之の出した見廻役が、博多辻の堂町で怪しい風體の男を捕へた。それを取り調べると、豐後國日田にゐる徳川家の目附役竹中采女正に宛てた、栗山大膳利章の封書を懷中してゐた。城内でそれを開いて見れば、忠之が叛逆の企をしてゐると云ふ訴であつた。
 當時忠之と利章とは、非常に緊張した間柄になつてゐた。年の初に前將軍徳川秀忠の葬儀が濟んで、忠之が下國した時、主立つた諸侍は皆箱崎まで迎に出たのに、利章一人は病氣と稱して城下の邸に閉ぢ籠つて出なかつた。そこで忠之は利章の邸の前を通る時、山下平兵衞を使に遣つて、容態を尋ね、全快次第出勤せいと云はせた。其後も忠之は度々見舞の使を遣り、又利章の療治をしてゐると云ふ醫師鷹取長松庵に容態を尋ねた。さて使や醫師の復命を聞くに、どうも利章は重病ではないらしかつた。それから六月十三日になつて、忠之は黒田市兵衞、岡田善右衞門の二人を利章の所へ使に遣つて歩行の協はぬ程の重體ではあるまいから、從ひ手を引かれてでも出て貰ひたいと云はせた。利章は歩行が出來ぬから、いづれ全快した上で出仕すると答へた。忠之はすぐに黒田、岡田の二人を再度の使に遣つて、從ひ途中で眩暈が起つても、乘物で城門まで來て貰ひたい。それもならぬなら、當方から出向いて面會すると云はせた。利章は又どうしても全快の上でなくては出ぬと答へた。忠之は二人の使に、利章の身邊には家來が何人位ゐたか、又武具があつたかと問うた。二人の答は、家來は二十人ばかりゐて、我等の前後左右を取り卷き、武具も出してあつたと云ふことであつた。忠之は城内焚火の間で、使の此答を聞いてゐたが、思ひ定めたらしい氣色で、兎に角栗山が邸へ押し懸けて往くから、一同用意せいと云ひ棄てゝ奥に入つた。諸侍は家々へ武具を取りに遣る。噂は忽ち城下に廣まつて、番頭組の者や若侍は次第に利章が邸の前へ詰め懸けた。此時老臣の中で、當時道柏と名告つてゐた井上周防之房と、小河内藏允との二人が、忠之の袂に縋つて、それは餘り輕々しい、江戸へ聞こえても如何である、利章をば我々が受け合つてどうにも處置しよう、切腹させよとなら切腹もさせようと云つて諫めた。忠之はやうやう靜まつた。井上、小河の二人は次へ出て、利章方へ一人たりとも參つてはならぬと觸れ、利章の邸の前に往つてゐた者共を、利章の姉婿で、當時睡鴎と名告つてゐた黒田美作が邸と、其向側の評定所とへ引き上げさせた。翌十四日に井上、小河は城内の事を利章に告げた。利章はすぐに剃髪して、妻と二男吉次郎とを人質として城内へ送つた。人質は利章の外舅黒田兵庫に預けられた。利章が徳川の目附竹中に宛てた密書を、忠之が手に入れたのは其翌日の事である。
 忠之も城内に出仕してゐた諸侍も、利章がかう云ふ書面を書いたのを意外に思つた。徳川家に対して叛逆をしようと云ふ念が、忠之に無いのは言ふ…

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