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追儺
ついな
作品ID693
著者森 鴎外
文字遣い新字旧仮名
底本 「ザ・鴎外 ―森鴎外全小説全一冊―」 第三書館
1985(昭和60)年5月1日
初出「東亜之光」1909(明治42)年5月
入力者村上聡
校正者野口英司
公開 / 更新1998-05-11 / 2014-09-17
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 悪魔に毛を一本渡すと、霊魂まで持つて往かずには置かないと云ふ、西洋の諺がある。
 あいつは何も書かない奴だといふ善意の折紙でも、何も書けない奴だといふ悪意の折紙でも好い。それを持つてゐる間は無事平穏である。そして此二つの折紙の価値は大して違つてはゐないものである。ところがどうかした拍子に何か書く。譬へば人生意気に感ずといふやうな、おめでたい、子供らしい、頗る sentimental なわけで書く。さあ、書くさうだなと云ふと、こゝからも、かしこからも書けと迫られる。どうして何を書いたら好からうか。役所から帰つて来た時にはへと/\になつてゐる。人は晩酌でもして愉快に翌朝まで寐るのであらう。それを僕はランプを細くして置いて、直ぐ起きる覚悟をして一寸寐る。十二時に目を醒ます。頭が少し回復してゐる。それから二時まで起きてゐて書く。
 昼の思想と夜の思想とは違ふ。何か昼の中解決し兼た問題があつて、それを夜なかに旨く解決した積で、翌朝になつて考へて見ると、解決にも何にもなつてゐないことが折々ある。夜の思想には少し当にならぬ処がある。
 詩人には Balzac のやうに、夜物を作つた人もある。宵に寐かして置いた Lassailly が午前一時になると喚び起される。Balzac はかう云つたさうだ。君はまだ夜[#「夜」は底本では「外」]寐る悪癖が已まないな。夜は為事をするものだよ。さあ、ここに[#挿絵][#挿絵]がある。これを飲んで目を醒まして、為事に掛かり給へといふ。卓の上には白紙が畳ねてある。Balzac は例の僧衣を著て、部屋の中をあちこち歩きながら口授する。Lassailly はそれを朝の七時まで書かせられるのであつたさうだ。併し Balzac は午前八時から午後四時まで役所の事務を執つてはゐなかつた。そこを思ふと僕の夜の思想はいよ/\当にならなくなる。先づ兎も角も机に向つて、筆を手に取つて、何を書かうかと考へる。小説にはかういふものをかういふ風に書くべきであるといふ事を聞せられてゐる。しかも抒情詩と戯曲とでない限の作品は、何でも小説といふ概念の中に入れられてゐるやうだ。戯曲なぞにはそんな註文がないが、これは丸で度外視せられてゐる為めであるらしい。
 そのかういふものをかういふ風に書くべきであるといふ教は、昨今の新発明でゝもあるやうに説いて聞せられるのである。随つてあいつは十年前と書振が変らないといふのは、殆ど死刑の宣告になる。果してそんなものであらうか。Stendhal は千八百四十二年に死んでゐる。あの男の書いたものなどは、今の人がかういふものをかういふ風に書けといふ要求を、理想的に満足させてゐはしないかとさへ思はれる。凡て世の中の物は変ずるといふ側から見れば、刹那々々に変じて已まない。併し変じないといふ側から見れば、万古不易である。此頃囚はれた、放たれたといふ…

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