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赤蛙
あかがえる
作品ID7
著者島木 健作
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 70 武田麟太郎・島木健作・織田作之助・檀一雄集」 筑摩書房
1970(昭和45)年6月25日
入力者j.utiyama
校正者かとうかおり
公開 / 更新1998-08-26 / 2014-09-17
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 寝つきりに寝つくやうになる少し前に修善寺へ行つた。その頃はもうずゐぶん衰弱してゐたのだが、自分ではまだそれほどとは思つてゐなかつた。少し体を休めれば、ぢきに元気を回復するつもりでゐた。温泉そのものは消極性の自分の病気には却つてわるいので、私はただ静かな環境にたつたひとりでゐることを欲したのである。修善寺は前に一晩泊つたことがあるきりで、べつにいい所だとも思はなかつたが、ほかに行くつもりだつた所が、宿の都合がわるいと断つて来たので、そこにしたのだつた。
 宿についた私はその日のうちにもうすつかり失望して、来たことを後悔しなければならなかつた。実にひどい部屋に通されたのだ。それは三階の端に近いところで、一日ぢゆう絶対に陽の射す気づかひはなく、障子を立てると昼すぎの一番明るい時でも持つて来た小型本を読むのが苦労だつた。秋もまだ半ば頃なのだが山の空気は底冷えがする。熱も少しあるらしく、冷いやりとした風が襟もとや首すぢにあたるごとにぞくぞくする。それに風のかげんで厠臭がひどくて堪へられぬ。誰でもさうだらうが、私も体が弱るにつれて、それが悪臭なら無論、芳香であつても、すべてのにほひといふにほひには全く堪へ性がなくなつてしまふのである。それで私はどうしても障子を立てて、一日その薄暗いなかに閉ぢこもつてゐなければならなかつた。
 私は時々立つて障子を開けて、向ひ側の陽のよくあたる明るい部屋部屋を上から下まで、羨しさうに眺めやつた。広い縁側の長椅子の上に長々と横になつてゐる人間たちを眺めやつた。客はさう混んでゐるとも思へなかつた。私はいきなり飛び込んだ客ではなくて、予め手紙で問ひ合してから来た者でもある。私は女中を呼んで部屋を代へることを交渉したが、少しも要領を得なかつた。
 一人客の滞在客といふ、かういふ宿にとつての、一番の嫌はれもので、私はあつたのだ。明いてゐるいい部屋は幾つあつても、それらは女連れなどで来て遊んで帰る者たちのためにだけ取つてある。その春放送局の用事で福島県の農村地方を廻つた時は、土地の人にある温泉地へ案内されたが、靴を脱いで上へあがつてから泊るのは一人だとわかると、いきなりそんなら部屋はないといはれ、帚で掃くやうにして追ひ立てられた時のことを思ひ出した。軍需成金共が跋扈してゐて、一人静かに書を読まうとか、傷ついた心身を休めようとか、さういふやうなものは問題ではないのだ。さうかと思ふと一方にはまた温泉組合の機関雑誌といふものがあり、「我々温泉業者も新体制に即応し、国民保健の担当者たることを自覚し……」などと書いて、我々の所へも送つて来たりしてゐるのである。
 つまらぬことに腹は立てまい、ちよつとしたことにものぼせるのは自分の欠点だ、怒気ほど心身をやぶるものはない、この頃は特にさう思ひ思ひして来てゐる自分なのだが、怒りがムラムラと発して来てどうにもならなか…

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