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彼 第二
かれ だいに
作品ID71
著者芥川 竜之介
文字遣い新字新仮名
底本 「芥川龍之介全集6」 ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年3月24日
初出「新潮」1927(昭和2)年1月
入力者j.utiyama
校正者もりみつじゅんじ
公開 / 更新1999-03-01 / 2014-09-17
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        一

 彼は若い愛蘭土人だった。彼の名前などは言わずとも好い。僕はただ彼の友だちだった。彼の妹さんは僕のことを未だに My brother's best friend と書いたりしている。僕は彼と初対面の時、何か前にも彼の顔を見たことのあるような心もちがした。いや、彼の顔ばかりではない。その部屋のカミンに燃えている火も、火かげの映った桃花心木の椅子も、カミンの上のプラトオン全集も確かに見たことのあるような気がした。この気もちはまた彼と話しているうちにだんだん強まって来るばかりだった。僕はいつかこう云う光景は五六年前の夢の中にも見たことがあったと思うようになった。しかし勿論そんなことは一度も口に出したことはなかった。彼は敷島をふかしながら、当然僕等の間に起る愛蘭土の作家たちの話をしていた。
「I detest Bernard Shaw.」
 僕は彼が傍若無人にこう言ったことを覚えている、それは二人とも数え年にすれば、二十五になった冬のことだった。……

        二

 僕等は金の工面をしてはカッフェやお茶屋へ出入した。彼は僕よりも三割がた雄の特性を具えていた。ある粉雪の烈しい夜、僕等はカッフェ・パウリスタの隅のテエブルに坐っていた。その頃のカッフェ・パウリスタは中央にグラノフォンが一台あり、白銅を一つ入れさえすれば音楽の聞かれる設備になっていた。その夜もグラノフォンは僕等の話にほとんど伴奏を絶ったことはなかった。
「ちょっとあの給仕に通訳してくれ給え。――誰でも五銭出す度に僕はきっと十銭出すから、グラノフォンの鳴るのをやめさせてくれって。」
「そんなことは頼まれないよ。第一他人の聞きたがっている音楽を銭ずくでやめさせるのは悪趣味じゃないか?」
「それじゃ他人の聞きたがらない音楽を金ずくで聞かせるのも悪趣味だよ。」
 グラノフォンはちょうどこの時に仕合せとぱったり音を絶ってしまった。が、たちまち鳥打帽をかぶった、学生らしい男が一人、白銅を入れに立って行った。すると彼は腰を擡げるが早いか、ダム何とか言いながら、クルウェットスタンドを投げつけようとした。
「よせよ。そんな莫迦なことをするのは。」
 僕は彼を引きずるようにし、粉雪のふる往来へ出ることにした。しかし何か興奮した気もちは僕にも全然ない訣ではなかった。僕等は腕を組みながら、傘もささずに歩いて行った。
「僕はこう云う雪の晩などはどこまでも歩いて行きたくなるんだ。どこまでも足の続くかぎりは……」
 彼はほとんど叱りつけるように僕の言葉を中断した。
「じゃなぜ歩いて行かないんだ? 僕などはどこまでも歩いて行きたくなれば、どこまでも歩いて行くことにしている。」
「それは余りロマンティックだ。」
「ロマンティックなのがどこが悪い? 歩いて行きたいと思いながら、歩いて行かないのは意気地なしばかり…

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