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骨を削りつつ歩む
ほねをけずりつつあゆむ
副題――文壇苦行記――
――ぶんだんくぎょうき――
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「佐左木俊郎選集」 英宝社
1984(昭和59)年4月14日
入力者大野晋
校正者湯地光弘
公開 / 更新1999-12-06 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     惑いし途

 私が作家として立とうと決心したのは、廿一の秋で、今から五年前の事である。そうと意志のきまるまでは、随分種々と他動的に迷わされていたが、私を決心に導いてくれたものは私の病気だった。
 私は廿一の歳に二度病気をした。第一回目は関節炎で、神田の馬島病院に二週間入院して、弁護士の今村力三郎先生から――私はその頃、今村先生のお宅に書生をしていたのだが――入院料を百円程払って頂いた。第二回目は肋膜で、京橋の福田病院と赤十字病院に、両方で約五十日ばかりいた。この時には、今村先生は五六百円程払って下さった筈だ。
 作家になろうと決心したのは、まだ福田病院にいた時の事で、或る若いお医者様から、癒っても二年ぐらいは、ぶらぶらして休養していた方がいいように聴かされたからであった。私は前々から文学に心を動かされていたのであったが、私の意志の薄弱なところへ持って来て四辺の人々がみんな、文学をやりたいという私の希望に不賛成だったので、私はそれまで学校を更えて見たり、目的を改めて見たりばかりしていた。だが、二年もぶらぶら遊ぶことになると、その間に独学ででも文学をやるとしたら、何か掴むところがあるだろうと思った。で到頭、文学をやることに決心した。
 今村家で大変可愛がられていた私は、令息の学郎さんから、読みたいと言えば、大抵の本は求めてもらうことが出来たので、学校の方も一生懸命やる約束で求めてもらうのではあったけれども、私は学校の方は怠けて落第しそうになりながらも、文学の本ばかり読み耽っていた。馬島病院にいた頃にも、やはり学郎さんから種々な本を買ってもらって読んだ。福田病院では、附添に来てくれた美波さんという看護婦が文学好きだったので、私が未だ読書を制められていた頃から、毎日のように読んでもらっていた。そんなこんなのことが、私を文学へと引っぱって行った。
 それに私は、前に学郎さんと一緒に甲州の方へ十日間ばかり旅行して、その時のことを学郎さんと二人で「甲斐の旅」という紀行文を作って、今村先生からほめられた事があった。それから、この年の二月、未だ病気をしなかった頃に、今村家を中心として拵えた「流汗主義」という論文的な文章を雑誌「樹蔭」に書いて、この時も今村先生からほめて頂いた。そうで無くてさえ、文学には有頂天だったのだから、佐々木にしてはうまいものだと言う今村先生のおほめを、自分で全かり佐々木はうまいものだ! にしてしまって、下手の横好きという俗諺の通りに、私は到頭、文章家として立とうと決心したのであった。大正九年の初秋、玉蜀黍の葉末に、秋らしい微風の音を聞く頃……。

     病弱時代

 赤十字病院を退院すると私はすぐに、大船の常楽寺に行って静養する事になった。そこには今村のお嬢さんが絵の稽古旁々松洲先生等と一緒に避暑に行っていたからであった。ところが私は、未だ…

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