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荒雄川のほとり
あらおがわのほとり
作品ID724
著者佐左木 俊郎
文字遣い新字新仮名
底本 「佐左木俊郎選集」 英宝社
1984(昭和59)年4月14日
初出「新文藝日記 昭和六年版」1930(昭和5)年
入力者大野晋
校正者鈴木伸吾
公開 / 更新1999-09-24 / 2014-09-17
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 私の郷里は(宮城県玉造郡一栗村上野目天王寺)――奥羽山脈と北上山脈との余波に追い狭められた谷間の村落である。谷間の幅は僅かに二十町ばかり。悉く水田地帯で、陸羽国境の山巒地方から山襞を辿って流れ出して来た荒雄川が、南方の丘陵に沿うて耕地を潤し去っている。
 南方の丘陵は、昔、田村麻呂将軍が玉造柵を築いたところ。荒雄川の急流を隔てて北方の蝦夷に備えたのであろう。後に、伊達正宗の最初の居城、臥牛の城閣がこの丘の上に組まれ、当時の城閣を偲ばせる本丸の地形や城郭の跡が今でも残っている。
「栗駒おろし吹きなびく
 臥牛城下に生をうけ
 残されたりし英雄の
 ……」
 私達は子供の時分、そんな歌を歌った。
 併し、私の生まれた部落は、北方の丘陵に近く、南方の山脚を洗う荒雄の水音を、微かに聞く地点なのである。
 南方の丘陵が武将の旧跡なら、北方の丘陵は宗教の丘である。即ち聖徳太子の四天王寺の一つが今の地名をなしている。豪壮な伽藍は、幾度も兵火にあいながら、私達の子供の時分までは再建を続けられていたのだそうだが、坊主が養蚕で火を出してから、今では仮普請の小さなものになってしまった。当時、聖徳太子が自ら刻んだという如意輪観音の像だけは、寺院の近くに、今にその堂宇を残しているのであるが、最近、それが聖徳太子の作ではなく運慶の作であることが鑑定され、近く国宝に編入されるという噂である。もう一つ、ここには守屋大臣の碑が雨ざらしにされている。十五六年前、楠木正成の筆らしいと騒がれたこともあったが、それはそのまま立ち消えになってしまった。
 とにかく、私を十五の歳まで育てたこの部落は、背後に畑地の多い丘陵があり、前面に水田が開けていて、農民小説には寔に都合のいい舞台を形成している。――私が農民小説を書き出した動機の一つは、この地形にあると思う。
――昭和五年(一九三〇年)『新文藝日記』(昭和六年版)――



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