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文芸と道徳
ぶんげいとどうとく
作品ID756
著者夏目 漱石
文字遣い新字新仮名
底本 「夏目漱石全集10」 ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年7月26日
入力者柴田卓治
校正者大野晋
公開 / 更新1999-12-23 / 2014-09-17
長さの目安約 34 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私はこの大阪で講演をやるのは初めてであります。またこういう大勢の前に立つのも初めてであります。実は演説をやるつもりではない、むしろ講義をする気で来たのですが、講義と云うものはこんな多人数を相手にする性質のものでありません。これだけの聴衆全体に通るような声を出そうとすれば――第一出る訳がないけれども、万一出るにしても十五分ぐらいで壇を降りなければやりきれないだろうと思います。したがって、始めての事でもあるしこれほど御集りになった諸君の御厚意に対してもなるべく御満足の行くように、十分面白い講演をして帰りたいのは山々であるけれども、しかしあまり大勢お出になったから――と云って、けっしてつまらぬ演説をわざわざしようなどという悪意は毛頭無いのですけれども、まあなるべく短かく切上げる事にして、そうして――まだ後にも面白いのがだいぶありますから、その方で埋め合せをして、まず数でコナすようなことにしようと思う。実際この暑いのにこうお集まりになって竹の皮へ包んだ寿司のように押し合っていてはたまりますまい。また講演者の方でも周囲前後左右から出る人の息だけでも――ちょっとここへ立って御覧になればすぐ分りますが――実際容易なものではありません。実はこういうように原稿紙へノートが取ってありますから、時々これを見ながら進行すれば順序もよく整い遺漏も少なく、大変都合が好いのですけれども、そんな手温い事をしていてはとても諸君がおとなしく聴いていて下さるまいと思うから、ところどころ――ではない大部分端折ってしまってやるつもりであります。しかしもしおとなしく聴いて下されば十分にやるかも知れない。やろうと思えばやれるのです。
 問題はあすこに書いてある通り「文芸と道徳」と云うのですが、御承知の通り私は小説を書いたり批評を書いたり大体文学の方に従事しているために文芸の方のことをお話する傾きが多うございます。大阪へ来て文芸を談ずると云うことの可否は知りません。儲ける話でもしたら一番よかろうと思っているんですが、「文芸と道徳」では題をお聴きになっただけでも儲かりません。その内容をお聴きになってはなお儲かりません。けれども別に損をするというほどの縁喜の悪い題でもなかろうと思うのです。もちろん御聴になる時間ぐらいは損になりますが、そのくらいな損は不運と諦めて辛抱して聴いていただきたい。
 昔の道徳と今の道徳と云うものの区別、それからお話をしたいと思いますが――どうも落ちついてやっていられないような気がしてたまらない。その前にちょっとこの題の説明をしますが、「道徳と文芸」とある以上、つまり文芸と道徳との関係に帰着するのだから、道徳の関係しない方面、あるいは部分の文芸と云うものはここに論ずる限りでない。したがって文芸の中でも道徳の意味を帯びた倫理的の臭味を脱却する事のできない文芸上の述作についてのお話と云っ…

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