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手紙
てがみ
作品ID798
著者夏目 漱石
文字遣い新字新仮名
底本 「硝子戸の中」 角川文庫、角川書店
1954(昭和29)年6月10日
入力者柴田卓治
校正者しず
公開 / 更新1999-09-09 / 2014-09-17
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 モーパサンの書いた「二十五日間」と題する小品には、ある温泉場の宿屋へ落ちついて、着物や白シャツを衣装棚へしまおうとする時に、そのひきだしをあけてみたら、中から巻いた紙が出たので、何気なく引き延ばして読むと「私の二十五日」という標題が目に触れたという冒頭が置いてあって、その次にこの無名式のいわゆる二十五日間が一字も変えぬ元の姿で転載された体になっている。
 プレヴォーの「不在」という端物の書き出しには、パリーのある雑誌に寄稿の安受け合いをしたため、ドイツのさる避暑地へ下りて、そこの宿屋の机かなにかの上で、しきりに構想に悩みながら、なにか種はないかというふうに、机のひきだしをいちいちあけてみると、最終の底から思いがけなく手紙が出てきたとあって、これにもその手紙がそっくりそのまま出してある。
 二つともよく似た趣向なので、あるいは新しいほうが古い人のやったあとを踏襲したのではなかろうかという疑いさえさしはさめるくらいだが、それは自分にはどうでもよろしい。ただ自分もつい近ごろ、これと同様の経験をしたことがある。そのせいか今まではなるほど小説家だけあってうまくこしらえるなとばかり感心していたのが、それ以後実際世の中にはずいぶん似たことがたくさんあるものだという気になって、むしろ偶然の重複に咏嘆するような心持ちがいくぶんかあるので、つい二人の作をここに並べてあげたくなったのである。
 もっともモーパサンのは標題の示すごとく、逗留二十五日間の印象記という種類に属すべきもので、プレヴォーのは滞在ちゅうの女客にあてたなまめかしい男の文だから、双方とも無名氏の文字それ自身が興味の眼目である。自分の経験もやはりふとした場所で意外な手紙の発見をしたということにはなるが、それが導火線になって、思いがけなくある実際上の効果を収めえたのであるから、手紙そのものにはそれほど興味がない。少なくとも、小説的な情調のもとに、それを読みえなかった自分にはそういう興味はなかった。そこが前にあげたフランスの二作家と違うところで、そこがまた彼らよりも散文的な自分をして、彼らの例にならって、その手紙をこの話の中心として、一字残らず写さしめなかった原因になる。
 手紙は疑いもなく宿屋で発見されたのである。場所もほとんどフランスの作家の筆にしたところとほとんど変わりはない。けれどもどうしてかどんな手紙をとかいう問いに答えるためには、それを発見した当時から約一週間ほどまえにさかのぼって説明する必要がある。
 いよいよK市へ立つという前の晩になって、妻がちょうどいいついでだから、帰りに重吉さんのところへ寄っていらっしゃい、そうして重吉さんに会って、あのことをもっとはっきりきめていらっしゃい。なんだか紙鳶が木の枝へ引っかかっていながら、途中で揚がってるような気がしていけませんからと言った。重吉のことは自分も…

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