えあ草紙・青空図書館 - 作品カード


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雨の日に香を燻く
あめのひにこうをたく
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆33 水」 作品社
1985(昭和60)年7月25日
入力者砂場清隆
校正者菅野朋子
公開 / 更新2000-07-29 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

         一

 梅雨まへには、今年はきつと乾梅雨だらうといふことでしたが、梅雨に入つてからは、今日まで二度の雨で、二度ともよく降りました。

 私は雨の日が好きです。それは晴れた日の快活さにも需めることの出来ない静かさが味ははれるからであります。毎日毎日降り続く梅雨の雨は、私のやうな病気勝ちな者にとつては、いくらか鬱陶し過ぎるやうですが、それすらある程度まで外界のうるささからのがれて、静かな心持をゆつくり味はふことが出来るのを喜ばずにはゐられません。
 梅雨の雨のしとしとと降る日には、私は好きな本を読むのすら勿体ない程の心の落ちつきを感じます。かういふ日には、何か秀れたものが書けさうな気もしますが、それを書くのすら勿体なく、出来ることなら何もしないで、静に自分の心の深みにおりて行つて、そこに独を遊ばせ、独を楽しんでゐたいと思ひます。
 香を焚くのは、どんな場合にもいいものですが、とりわけ梅雨の雨のなかに香を聞くほど心の落ちつくものはありません。私は自分一人の好みから、この頃は白檀を使ひますが、青葉に雨の鳴る音を聞きながら、じつと目をとぢて、部屋一ぱいに漂ふ忍びやかなその香を聞いてゐると、魂は肉体を離れて、見も知らぬ法苑林の小路にさまよひ、雨は心にふりそそいで、潤ひと柔かみとが自然に浸み透つて来ます。この潤ひと柔かみとは、『自然』と『我』との融合抱和になくてはならない最勝の媒介者であります。私の魂が宇宙の大きな霊と神交感応するのもこの時。草木鳥虫の小さな精と忍びやかに語るのもこの時。今は見るよしもない墓のあなたの故人を呼びさまして、往時をささやき交はすのもこの時です。
 香の煙の消えるともなく弱つて往く頃には、私の心も軽い疲労をおぼえて来ますので、私は起つて窓障子を押し開きます。心のうちに落ちてゐるとのみ思つてゐた雨は、外にも同じやうに降りしきつてゐるのでした。薄暗い庭の片隅に、紫陽花が花も葉もぐしよ濡れに濡れそぼつて立つてゐるのが見えます。幽界の夢でも見てゐるやうな、青白い微笑を眼尻にもつてゐるこの花は、梅雨時になくてならないものの一つです。くちなしの花、合歓の花――どちらも昼日なか夢をみる花ですが、紫陽花のやうに寂しい陰鬱な夢をみる花はほかにはありません。
 紫陽花のすぐ隣に、立葵の赤と白との花が雨にぬれてゐます。梅雨季の雨と晴間の日光とをかはるがはる味ふために、茎は柱のやうに真つ直に突つ立ちながら、花はみな横向きにくつついてゐるのはこの草です。
 私は立葵を描いた光琳と乾山との作を見たことがありますが、兄弟相談して画いたかとも思はれる程互によく似てゐました。茎と花とが持つてゐる図案的のおもしろみはどちらにもよく出てゐましたが、土から真つ直に天に向つて突立つてゐるこの草の力強さと厚ぼつたさとは、乾山の方によく出てゐたやうに思ひます。作者の人柄が映…

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