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氷屋の旗
こおりやのはた
作品ID811
著者石川 啄木
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆18 夏」 作品社
1984(昭和59)年4月25日
初出「東京毎日新聞」1909(明治42)年8月
入力者砂場清隆
校正者菅野朋子
公開 / 更新2000-06-03 / 2014-09-17
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 親しい人の顔が、時として、凝乎と見てゐる間に見る見る肖ても肖つかぬ顔――顔を組立ててゐる線と線とが離れ/\になつた様な、唯不釣合な醜い形に見えて来る事がある。それと同じ様に、自分の周囲の総ての関係が、亦時として何の脈絡も無い、唯浅猿しく厭はしい姿に見える。――恁うした不愉快な感じに襲はれる毎に、私は何の理由もなき怒り――何処へも持つて行き処の無い怒を覚える。
 双肌脱いだ儘仰向に寝転んでゐると、明放した二階の窓から向ひの氷屋の旗と乾き切つた瓦屋根と真白い綿を積み重ねた様な夏の雲とが見えた。旗は戦と風もない炎天の下に死んだ様に低頭れて襞一つ揺がぬ。赤い縁だけが、手が触つたら焼けさうに思はれる迄燃えてゐる。
 私も、手も足も投出した儘動かなかつた。恰も其氷屋の旗が、何かしら為よう/\と焦心り乍ら、何もせずにゐる自分の現在の精神の姿の様にも思はれた。そして私の怒りは隣室でバタ/\団扇を動かす家の者の気勢にも絶間なく煽られてゐた。胸に湧出る汗は肋骨の間を伝つてチヨロリ/\と背の方へ落ちて行つた。
 不図、優しい虫の音が耳に入つた。それは縁日物の籠に入れられて氷屋の店に鳴くのである。――私は昔自分の作つた歌をゆくりなく旅先で聴く様な気がした。そして、正直のところ、嬉しかつた。幼馴染の浪漫的――優しい虫の音は続いて聞えた――
 それも暫時。夏ももう半ばを過ぎるのだと思ふと、汗に濡れた肌の気味の悪さ。一体何を自分は為る事があるのだらうと思ひ乍ら、私は復死んだ様な氷屋の旗を見た。



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