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だだをこねる
だだをこねる
作品ID847
著者辻 潤
文字遣い新字新仮名
底本 「辻潤著作集2 癡人の独語」 オリオン出版社
1970(昭和45)年1月30日
入力者et.vi.of nothing
校正者かとうかおり
公開 / 更新1999-11-20 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        1

 こねたところでまるめてみたところできなこはきなこである。かんでみたところでなめてみたところでマメはマメである。時に、ひどく欠伸がでてこまりもしないけれどなんにしてもやりきれない生活感情であることよ! おもしろくないことおびただしいので、私はつねにねそべってバットでも吹かしているのがこの上もない、パライソなのである。その上きれいな水とリンゴと青いものと小鳥の声でもあれば、申し分はない。おれは都会をすかん、ただある因縁によってしばらくがまんしているだけの話だ。私は五十年おふくろとつき合ってみたがまったく女というものはバカでこまるよ。そのバカなおふくろのおなかから生まれた私がどうしてバカでない道理があるものか? ザマア見ろ! てんだ。

        2

 おれには自分ひとりを支えてゆく能力さえないが別段恥かしくもおかしくもなんともない。おふくろやこどもでもいなかったら、とうにどこかで野晒になってしまっていたに相違ない。もっともその方がよほど気楽かもしれないがね。荘子という本の中に荘子とドクロとの問答がある。ドクロが荘子に向かって己れのたのしみは南面王にも真似は出来まいといって大気焔をあげている。どうかと思うがね。
 なんしろ字なんか書くって奴はいとも面倒くさいもんであるよ、みんなよくもまあながながとことや細かくつまんねえ屁理窟やつまらん男と女がどうしたとかこうしたとか、すべったとかひっくりかえったとか凡そベラボーでちんぷでなさけなくはては臍茶なもんやないかないか――だがみんな生きとしいけるものはおまんまというものをいただかなければならないのが、実に厄介センバンだよ。これにはシャッポだ。だから私は凡そおかねのない人達がどんなことをしようとやろうとたいていがまんしてむりもないなと考えながら傍かんしているんだ。
 わたしもなれたらアルセン・ルパンみたいになりたいが――所詮及ばぬ鯉のなんとやらで、指でもくわえてかんしんしているほか手がないのだ。了簡がケチ臭く肝ッ玉が山椒ツブみたいで力もなくしたがって御金もなく女の子にはいたってふられがちに出来あがっている――まったくわれながらアイソのつきる野郎ではある。おまけに気じるしときているので念が入りすぎている。どうかんがえてみても乞食になるよりほかになるものがないからそれでまあやってるわけなんだが[#「なんだが」は底本では「なんだか」]乞食も決して楽じゃないね。

        3

 去年病院を出てから二十日ばかり大島のゆ場にいた。もう少しのぼると例の穴のところまでゆかれるのだが、穴なんか覗いたっておもしろくもあるまいと思ってやめた。それに恐ろしくからだがつかれてもいたから歩くのがおっくうでもあった。毎日なんにもせずねころんでばかりいた。ゆ場の主人が「先生ぜひなにか書いて下さい!」というようなこと…

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