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ふもれすく
ふもれすく
作品ID852
著者辻 潤
文字遣い新字新仮名
底本 「辻潤全集 第1巻」 五月書房
1982(昭和57)年4月15日
入力者田島曉雄
校正者松陽
公開 / 更新1998-12-21 / 2014-09-17
長さの目安約 39 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 題だけは例によってはなはだ気が利き過ぎているが、内容が果たしてそれに伴うかどうかはみなまで書いてしまわない限り見当はつきかねる。
 だが、この題を見てスグさまドヴォルシャックを連想してくれるような読者ならまず頼もしい。でなければクワイトえんでふわらん。
 僕は至ってみすぼらしくもおかし気な一匹の驢馬を伴侶に、出鱈目な人生の行路を独りとぼとぼと極めて無目的に歩いている人間。
 鈍感で道草を食うことの好きな僕の馬は、時々嬉しくも悲しい不思議な声を出しては啼くが、僕が饒舌ることも、その調子と声色において僕の伴侶のそれとさして大差はあるまい。
 真面目ともっともらしさとエラそうなこと、さてはまた華々しいこと――すべてそういう向きのことの好きな人間は初めから僕の書くものなどは読まない方が得だろう。
 人間はさまざまな不幸や悲惨事に出遇うと気が変になったり、自殺をしたり、暴飲家になったり、精神が麻痺したり色々とするものだ。そこで、僕などはまだ自殺をやらない代りにダダイストなどという妙な者になってしまったのだ。これからまたどんな風に変わるか、先のことなど墓場へ突き当る以外にはちょっとわかりそうにもない。
 ダダイストという奴はともかくダダ的に文句をいうことがなによりも嫌いなのだ。つまり一呼吸の間に矛盾した同時性が含まれているというようなこともその条件の一つだが、元来ダダにとっては一切があるせんすなのだから、従っていか程センチメンタルでもかまわないのだ。メンタルとまちがえては困るよ。
 一九二三年の夏、僕は昨年来からある若い女と同棲、××××の結果、精神も肉体もはなはだしい困憊状態におかれて今までに覚えのない位な弱り方を[#「弱り方を」は底本では「弱を方を」]した。それで毎日煙草を吹かしては寝ころんでいた。興味索然と、はなはだミサントロープになり、一切が癪にさわって犬が可愛らしく思われたりした。友達などがたまたま訪ねてきてくれたりすると非常に失礼をいたしたりした。
 こんな風で九月一日の地震がなかったら、僕は「巻き忘れた時計のゼンマイが停止する」ような自滅の仕方をしていたのかも知れなかった。地震のお蔭で僕は壊滅しそうになっていた意識を取りかえすことが出来たのだと自分では信じている。
 裸形のまま夢中で風呂屋を飛び出して、風呂屋の前で異様な男女のハダカダンスを一踊りして、それでもまた羞恥(ダダはシウチで一杯だ)に引き戻されて、慌てて衣物を取り出してK町のとある路地の[#「路地の」は底本では「路次の」]突き当りにある自分の巣まで飛びかえってくるまでの間には、久しぶりながらクラシックサンチマンに襲われて閉口した。
 幸い老母も子供も女も無事だったが、家は表現派のように潰れてキュウビズムの化物のような形をしていた。西側にあった僕の二階のゴロネ部屋の窓からいつも眺めて楽しんでいた大…

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