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秋草と虫の音
あきくさとむしのね
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆94  草」 作品社
1990(平成2)年8月25日
入力者増元弘信
校正者もりみつじゅんじ
公開 / 更新2000-07-26 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 秋草の花のうち、最も早く咲くは何であらう。萩、桔梗、などであらうか。
 桔梗も花壇や仏壇で見ては、厭味になりがちである。野原のあを/\とした雑草のなかに、思ひがけない一輪二輪を見出でた時が本統の桔梗らしい。
 汽車が甲州の韮崎駅を出て次第に日野春、小淵沢、富士見、といふ風に信濃寄りの高原にかゝつてゆく。その線路の両側に、汽車の風にあふられながらこの花の咲いてゐるのをよく見かけた。そして、あゝもう秋だな、と思つたことが幾度かある。

 あのあたりには撫子も咲いてゐた。桔梗よりも鮮かでよく眼についたが、この花は寧ろ夏の花かも知れない。

 萩も夏萩などがあつて、梅雨あがりのしめつた地に咲き枝垂れてゐるのを見る。そのせゐか、『秋』といふ感じから、ともすれば薄れがちである。
 但し、この花の丈高く咲きみだれた草むらを押し分けて栗を拾つた故郷の裏山の原の思ひ出のみは永久に私に『秋』のおもひをそゝる。

 では、最も早く秋を知らせるのは何であらう。
 私は先づ女郎花を挙げる。
 この花ばかりは町中を通る花屋の車の上に載つてゐてもいかにも秋らしい。同じ車の上にあつて桔梗なども秋を知らせないではないが、どうもそれは概念的で、女郎花の様に感覚から来ない。
 ましてこれが野原の路ばたなどに一本二本かすかに風にそよいでゐるのを見ると、しみ/″\其処に新しい秋を感ずる。
 この花、たゞ一本あるもよく、群つて咲いてるのもわるくない。

 をとこへし、これは一本二本を見附けてよろこぶ花である。あまり多いとぎごちない。
女郎花咲きみだれたる野辺のはしにひとむら白きをとこへしの花

 僅かに一本二本と咲き始めたころに見出でて、オヽ、もうこれが咲くのかと驚かるゝ花に曼珠沙華がある。私の国では彼岸花といふが、その方が好い。
 これこそほんたうに一本二本のころの花である。くしや/\に咲き出すとまことに厭はしい。
曼珠沙華いろ深きかも入江ゆくこれの小舟のうへより見れば
 東京の、三宅坂から濠越に見る宮城の塀の近くに唯だ一個所だけこの花の群つて咲くところのあるのを偶然見つけて、毎年それを見に行つたものだが、今でも咲くかどうかと、ふといま思ひ出された。東京の近郊にはこの花は少なかつた。相模野には非常に多い。

 蝦夷菊、これは畑の花だが、東京近郊には頻りに作らるゝ。厭味の花と見ればそれ、それを忘れてぼんやり見てをればこれまた秋のはじめのものである。手にとつては駄目、畑のまゝで見るべきである。
ひしひしと植ゑつめられし蝦夷菊の花ところどころ咲きほころべり
蝦夷菊の花畑のくろにかいかがみ美しみ見ればみな揺れてをる
蝦夷菊の花をいやしと言ふもいはぬも眼のかぎりなるえぞ菊の花

 彼岸花も水辺に多いが、みぞ萩もまたさうである。眼につかぬ花で、見てをればいかにも可憐である。
このあたり風のつめたき山かげに咲き…

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