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為文学者経
いぶんがくしゃきょう
作品ID891
著者内田 魯庵 / 三文字屋 金平
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆60 愚」 作品社
1987(昭和62)年10月25日
入力者奥村正明
校正者菅野朋子
公開 / 更新2000-08-01 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

棚から落ちる牡丹餅を待つ者よ、唐様に巧みなる三代目よ、浮木をさがす盲目の亀よ、人参呑んで首縊らんとする白痴漢よ、鰯の頭を信心するお怜悧連よ、雲に登るを願ふ蚯蚓の輩よ、水に影る月を奪はんとする山猿よ、無芸無能食もたれ総身に智恵の廻りかぬる男よ、木に縁て魚を求め草を打て蛇に驚く狼狽者よ、白粉に咽せて成仏せん事を願ふ艶治郎よ、鏡と睨め競をして頤をなでる唐琴屋よ、惣て世間一切の善男子、若し遊んで暮すが御執心ならば、直ちにお宗旨を変へて文学者となれ。
我が所謂文学者とはフィヒテが“Ueber das Wesen des Gelehrten”に述べたてし、七むづかしきものにあらず。内新好が『一目土堤』に穿りし通仕込の御作者様方一連を云ふなれば、其職分の更に重くして且つ尊きは豈に夫の扇子で前額を鍛へる野幇間の比ならんや。
夫れ文学者を目して預言者なりといふは生野暮一点張の釈義にして到底咄の出来るやつにあらず。我が通仕込の御作者様方を尊崇し其利益のいやちこなるを欽仰し、其職分をもて重く且つ大なりとなすは能く俗物を教え能く俗物に渇仰せらるゝが故なり、(渠等が通の原則を守りて俗物を斥罵するにも関らず。)然しながら縦令俗物に渇仰せらる[#挿絵]といへども路傍の道祖神の如く渇仰せらる[#挿絵]にあらす、又賞で喜ばるゝと雖[#ルビの「いへ」は底本では「いへど」]ども親の因果が子に報ふ片輪娘の見世物の如く賞で喜ばるゝの謂にあらねば、決して/\心配すべきにあらす。否な、俗物の信心は文学者即ち御作者様方の生命なれば、否な、俗物の鑑賞を辱ふするは御作者様方即ち文学者が一期の栄誉なれば、之を非難するは畢竟当世の文学を知らざる者といふべし。
此故に当世の文学者は口に俗物を斥罵する事頗る甚だしけれど、人気の前に枉屈して其奴隷となるは少しも珍らしからず。大入だ評判だ四版だ五版だ傑作ぢや大作ぢや豊年ぢや万作ぢやと口上に咽喉を枯らし木戸銭を半減にして見せる縁日の見世物同様、薩摩蝋[#挿絵]てら/\と光る色摺表紙に誤魔化して手拭紙にもならぬ厄介者を売附けるが斯道の極意、当世文学者の心意気ぞかし。さりながら人気の奴隷となるも畢竟は俗物済度といふ殊勝らしき奥の手があれば強ち無用と呼ばゝるにあらず、却て之れ中々の大事決して等閑にしがたし。俗人を教ふる功徳の甚深広大にしてしかも其勢力の強盛宏偉なるは熊肝宝丹の販路広きをもて知らる。洞簫の声は嚠喨として蘇子の膓を断りたれど終にトテンチンツトンの上調子仇つぽきに如かず。カントの超絶哲学や余姚の良知説や大は即ち大なりと雖ども臍栗銭を牽摺り出すの術は遥かに生臭坊主が南無阿弥陀仏に及ばず。されば大恩教主は先づ阿含を説法し志道軒は隆々と木陰を揮回す、皆之れこ[#挿絵]の呼吸を呑込んでの上の咄なり。流石に明治の御作者様方は通の通だけありて俗物済度を早くも無二の本願となし俗物の調…

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